盲目の父と男の子


ジュンク堂書店北側向かいのガラス建築。


昨日はジュンク堂書店のプレオープンに足を運び、島尾伸三の本を三冊購入した。『東京〜奄美 損なわれた時を求めて』(asin:4309016197)のほかに、『季節風』(asin:4622044064)と『中華幻紀』。札幌のジュンク堂書店は、丸井今井デパートの南館に入っている。地上四階地下二階の全フロアーを占める。その建物には、以前は何が入っていたか思い出せないが、古い建物の内部が大幅に改修されていた。地下二階でデパートの他の館に連絡している。家族が買い物する間、大通館と一条館を連絡する地下通路のベンチに腰掛けて、『中華幻紀』に目を通した。私はいかにも写真集然とした写真集が苦手だ。かといって、写真を下手に説明するような饒舌な文章が載っている本も好きではない。写真と文章がまったく別の場所から「いま、ここ」に光をあてているような本が好きだ。写真と文章がそっぽを向き合って、でも見えない背中をくっつけているような、そんな感じ。まず写真だけを通して見てから、次に文章だけを通して読む。もちろん、視野には写真が入っている。写真を感じながら文章を読む。写真の情報処理と文章の情報処理はとりあえず別の回路で進行するが、慣れてくると両者の回路が乗り入れ合うということが起こる。帰宅して『中華幻紀』の文章を読み直していた。頷いていた。

この世に生を受けた喜びを噛みしめたり、
体内に沸き上がる悦びに目眩(めまい)するのは、
いつも予期せぬ場所での刹那の出来事で、
雑音の多い煩悩が満たされた時というよりも、
黄昏(たそがれ)ゆく景色や、
ちょっとした日常の中でのことが多く、
そんな視野に驚喜しているのは
私の勝手なのかもしれませんが、
五感が震え全ての神経が
目を覚ましたような
神々しい瞬間に見舞われます。
……

 島尾伸三『中華幻紀』004頁



中華幻紀―照片雑文 (ワールド・ムック―Living spheres (507))

一条館の一階に上がって、北一条通りの歩道を東側の駐車場に向かおうと、ガラスの扉を開けて外に出ようとしたとき、すぐ目の前を手をつないだ父子らしき一組が通り過ぎた。父のほうは顔をやや上に向け、白い杖を左腕に抱えていた。その右手は、まだ幼い、四、五歳に見えた、男の子の左手と繋がれていた。彼らが人ごみに紛れて見えなくなるまで、目が離せなかった。ほんの一瞬だったが、私はお父さんと男の子の表情を見比べていた。眼を瞑ったまま歩くお父さんは幸せそうな表情を浮かべていた。男の子はまるで大人のような厳しい表情をしていた。着飾って闊歩する周囲の十代以上の大人たちよりもよほどしっかりとした顔つきをしていたのが印象的だった。彼らの行く手の少し先の右手に歩道に飛び出している障害物が見えた。どうやって避けるのか、心配になった。障害物に近づいた時、男の子は全身でとても柔らかくお父さんの体を左手に押した。お父さんはすぐにそれに反応した。そして二人はスムースに弧を描いてその障害物を避けて向こう側に抜けた。見事だった。その間、男の子は障害物だけでなく、背後から彼らを追い越して行く通行人や前方からやってくる通行人にも気を配っていなければならなかったはずだ。わずか、一分にも満たない間の出来事だった。もちろん、写真を撮ることなんか思いも寄らなかったが、その間心の中で何回もシャッターを切っていたのかもしれない。