島尾伸三は家族四人で数年過ごした茅ヶ崎の「東海岸」を20年ぶりに訪れたとき、自然と足が茅ヶ崎カトリック教会に向いたという。そこで彼は奄美大島の名瀬マリア教会での母親の振舞いなども想起しながら、特に父親が大切にしていた信仰と己の「無神論的な現実主義」との間の乖離、葛藤を赤裸々に記している。
父はどうしてあれほどまでに謙虚に神の前に跪いたのか、いつまでも傲慢さの消えない私には不思議です。私の無神論的な現実主義は、どこまでも醒めた現実的な世界に生きる母の影響なのかもしれません。父の文学仲間の年長者が御自身を「観念の人」と評してしたけれど、父もそうだったのかもしれません。だから、「神」という観念について、抽象性に富んだカトリック教会の精神に理解が及んだのではないでしょうか。
カトリック小辞典には、「他人が言っていることが理解できると思い、相手が真実を忠実に伝えていると信頼して、他人のことばを受け入れること。すべての信仰の基本的動機は話し手の権威(または信じるに値する権威)である」とあります。
『東京〜奄美 損なわれた時を求めて』(asin:4309016197)34頁
……私のやさしさなんて、利己(エゴ)をオブラートで包んだだけのもののような気がしてきました。加えて、観念が人を幸せにする最後の手段とは思えなくて、父やその仲間の方々が犯した過ちは、それを証明しているような気がするのです。自分の身近な人々を彼らの観念が幸福にすることはなかったからです。いいえ、形而下に生きる私は観念を恐れるのです。
同書35頁
20年経っても信仰との「距離」は縮まらないように見える。しかし、彼はこの部分の記録に「現実主義者の祈り」という意味深長な見出しをつけている。対象化しうる、言語化しうる、理解しうる、語りうる現実主義的な世界から信仰の世界への接近を「祈り」という言葉に託したように感じられた。
もう20年ちかく経つだろうか。尊敬する人が40歳を超えてからカトリックの洗礼を受けた。非常に理性的な人だった。彼の入信が理解できずに、その理由を尋ねたことがあった。「人間は弱いもんだよ」 彼はそれ以上は語ろうとはしなかった。その数年後彼は病で亡くなった。死の数日前に病室に彼を見舞った。出版されたばかりのルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を題材にして世界観的な解釈を施した私の最初で最後の本を携えて。人工呼吸器に繋がれた彼はとても喜んで、励ましてくれさえした。その時私は彼に何もしてやれなかった。凍えるような冬の夜、北の教会での葬儀に参列した後、私は言葉を失って明け方まであてどなく街を彷徨った。何を考えていたのだろう。分からない。私流に何かを祈っていたのだろうか。私にとってもまだ「信仰との距離」は縮まらない。