ケヤキの音楽


寒気の少し緩んだ午後、猫と雪だるまを探しながら、久しぶりに「原生林」まで歩いた。裸になったケヤキ(欅, Zelkova tree, Zelkova serrata)の繊細で柔らかい枝振りに見惚れる。ケヤキの音楽を聴く気分だ。風太郎の体力がすっかり落ちたせいで、この夏以来、朝の散歩では「原生林」の辺りまで来ることはめったになかった。だから、今年は「原生林」の夏から冬にかけての移り変わりの記憶、記録が欠落している。それもまたよし。菅原さん(id:alsografico)が、自然の音に限りなく近い「音楽」を生理のように求めたくなる瞬間を記していた。かつてボサノヴァの「理想」は潮騒の音だとアントニオ・カルロス・ジョビンが語ったことを思い出す。いつの頃からか、自然の「奏でる」さまざま音を聞いているだけで満足している自分もいることに気づいた。それ以来あまり積極的に音楽を聴かなくなった。先日、京島の路地を歩いていた時、菅原さんが突然歩みを止めその辺りの空間を一瞬満たしたらしい「音楽」に感嘆の声を上げたことを思い出す。いつだって聴く耳さえあれば、街も楽器あるいはコンサート・ホールになるんだ。「原生林」はもちろんのこと。残念ながら、猫にも雪だるまにも出会わなかった。