現代の塵劫記を


 塵劫記 (岩波文庫)


「山内数学教室」を勝手にPRした縁で、山内先生から「昔、古本屋で手に入れた」という岩波文庫版(1977年)の『塵劫記』(底本は寛永20年、1643年版)を譲り受けることになった。


大矢真一の「解説」を読んでいて驚いた。『塵劫記』の著者である吉田光由は中国の明代の算数の教科書『算法統宗』(1593年)をお手本にして『塵劫記』を著したのだが、『算法統宗』を入手した当時はその漢文テクストを自力で読解することができなかった。幸いにも、当代随一の漢学者と評判だった伯父の角倉素案(すみのくらそあん)について『算法統宗』を学ぶことができたのだという。角倉素案? あの嵯峨本の? そうだったのである。吉田光由は京都の豪商角倉家の一族だったのだ。

 なお、素案は有名な嵯峨本の刊行者である。『塵劫記』も、字体・挿絵など嵯峨本のそれと近い。おそらく同じ印刷者の手によるものであろう。

(『塵劫記』「解説」258頁)

多才で有能な事業家でもあった角倉素案が書家の本阿弥光悦と経師の紙師宗二の協力の下に出版した「嵯峨本」は日本における活字印刷による出版事業のはじまりとされる。組版や活字・文字の観点から、その「古活字版」における「連綿体活字」の美しさに何度か言及したことがある。


角倉素案が、『塵劫記』の出版段階だけではなく、『算法統宗』の読解段階から『塵劫記』の誕生に深く関わった理由には、吉田光由の漢学に秀でた伯父だったという偶然の理由だけではなく、『塵劫記』に盛られることになる知識、すなわち当時の経済生活に必須な「数学的」知識の時代的重要性を、先見の明のある事業家として素案は当時の誰よりも早く的確に見抜いていたという必然的理由もあったに違いない。

そういうわけで、私は、山内先生には「山内数学教室」の活動を基にしていつか「現代の塵劫記」を著してもらいたいなあと密かに願っている。


参考: