町内の無名のデザイナーたち

ごみステーションのデザインはいかにあるべきかというどうでもいいようなことにずっと関心を持ち続けて来た。個人的にはどうでもよくない、かなり重要な問題を孕んだデザインだと思っている。以前から、へえー、と感心していたごみステーションのデザインを三つばかり紹介しよう。

三角ごみステーション

二本の電柱に挟まれた敷地の角という絶望的な立地条件の中で、デザイナーはなんと台所の三角コーナーにヒントを得て、三角形のごみステーションを作ってしまった。あっぱれな空間処理。

白樺ごみステーション

ある朝、かなり傷んだ古いごみステーションの脇に、デザイナーは、やむなく伐採され、切りそろえられ、束ねられて、捨てられるか燃やされるのを待つだけの白樺を発見する。デザイナーは、そんな白樺の運命が忍びなく、なんとか再利用できないかと思案した。そうだ、ごみステーションの骨組みに使える! こうして、出来上がった白樺ごみステーションは、あそこに立っていた頃の白樺の記憶をとどめることになった。素材の転用、町内の風景の記憶につながる美的感受性が素晴らしい。

組み立て式ごみステーション

ごみの日以外はここがごみステーションだとは気づかないかもしれないほどに、こうして目立たないように、しかも場所をとらないように折り畳まれて塀に立てかけられている。デザイナーに課せられた課題は、電柱と民家の塀の間の50センチに満たない空間にいかにごみステーションを設計するかということだった。時間によって形を変えるという柔軟な発想が活かされている。素敵だ。空間のみならず生活時間をも視野に入れた見事な時空間処理。ただし、板の彩色等に工夫の余地があると思う。

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生活のなかでちょっとした工夫ができるかできないかで人生は天国にも地獄にもなるような気がする。仕事であれ遊びであれ、料理であれ、掃除であれ、洗濯であれ、子育てであれ、介護であれ、何であれ、ちょっとした工夫こそ、幸福に生きる秘訣であるとさえ言えるかもしれない。もちろん、工夫には試行錯誤と失敗がつきものだし、時には抜本的な価値観の転換さえ必要である。最大の敵は己である。しかし、それがまた醍醐味であり、本当の明るさは絶望的な明るさ、絶望を通り抜けた明るさであり、深刻ぶった浅さ、浅はかな深刻さにはおさらばして、深い明るさ、明るい深さを僕らは生きるべきなのだろう。