棄民

昨日の朝日新聞朝刊の「私の視点」で多田富雄はリハビリ医療をめぐるこの国の棄民政策の酷さを怒りを懸命にこらえながら訴えていた。「棄民」という言葉に気持ちがささくれ立つ。

声を上げることができない脳卒中患者が行政から見放されている。「医療の効率化」の名の下に重症者が選別され、国から見捨てられた棄民と化している。

 多田富雄脳卒中患者 リハビリ医療を奪われた『棄民』」(2009年3月2日(月曜日)朝日新聞「私の視点」)

2001年に脳梗塞で声を失い、右半身不随となった世界的に著名な免疫学者だった多田富雄は、懸命なリハビリ訓練を続けたおかげでかろうじて社会復帰している。しかし、小泉政権下の2006年の診療報酬改定以降のリハビリ医療の度重なる制度改悪によって、憲法25条に定められた生存権、つまりは生きる最後の希望さえ奪われたと訴える。

わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか

わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか

1995年に脳出血で半身麻痺になり、京都府宇治市の介護老人ホームでリハビリ生活を続けていた鶴見和子は、2006年4月に施行された「リハビリ医療の日数制限制度」によってリハビリを打ち切られ、7月31日に亡くなった。生前、鶴見和子はリハビリ日数制限制度についてこう語った。

これは費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。この老人医療改訂は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている。

(雑誌『環』26号)

厚生労働省を相手取った「リハビリ闘争」の盟友でもあった鶴見和子について、多田富雄はこう語った。

・・・鶴見和子さんは、11年前に脳出血で左半身麻痺となった。10年以上もリハビリテーショ ンをたゆまず行い、精力的に著作活動を続けていたが、今年(2006年)になって、・・・2箇所の整形外科病院から、いままで月2回受けていたリ ハビリをまず1回だけに制限され、その後は打ち切りになると宣告された。医師からは、この措置は小泉さんの政策ですと告げられた。その後間もなくベッドか ら起き上がれなくなってしまい、2ヶ月のうちに、前からあった大腸癌が悪化して、去る7月30日に他界された。直接の原因は癌であっても、リハビリの制限 が、死を早めたことは間違いない。

 リハビリ制限、後期高齢者医療制度は国のうば捨て施策【多田富雄氏の訴え】(08.04.04)

図らずも、「小泉さんの政策」という医師の言葉が出てきたが、これは単にリハビリ医療だけの話ではない。多田富雄鶴見和子の訴えは、人間的絆が断ち切られ、弱者切り捨て傾向がますます強まっている棄民国家日本全体への警鐘である。

小泉政権―非情の歳月 (文春文庫)

小泉政権―非情の歳月 (文春文庫)

小児病的な小泉劇場が終幕する数ヶ月前の2006年6月15日に佐野眞一はこう書いた。

 将来の日本人が二十一世紀初頭の政権を担った小泉純一郎の治世を振り返ったとき、必ずや、あのとき日本は危険な曲がり角への舵を最初に切ったと後悔とともに思い出すことになるだろう。
 「勝ち組」と「負け組」を容赦なく選別する格差拡大社会に歯止めをかけるどころか、むしろ拍車をかける政策は、年間三万人もの自殺者を出す異常事態を生んだ。
 三万人という数字は、六千人あまりの死者を出した阪神淡路大震災が年五回起きている勘定である。
 これはどんなに強弁しようとも、明らかに社会の底が抜けはじめた証拠である。

 (239頁)

抜けた底からどんどん捨てられるのが弱者である。国民を愚弄する愚民政策、さらには露骨な棄民政策が連打されてきた。それに対抗するには、自分が愚民、棄民扱いされていることを知るのが第一歩であり、それを横のつながりによる共闘や投票行動に結びつけるのが第二歩である。そして、もっと重要なことは、従来の家族という枠を越えて相互に扶助し合う関係をできるだけ広範囲に築くことだと思う。その点で『大往生の島』(asin:4167340062)は示唆に富む。


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