原爆と写真:東松照明

ニッポン人脈記・この一枚の物語1「終わらぬ悲惨 世に伝え」(2009年6月8日朝日新聞夕刊、文・写真:相場郁朗)
「終わらぬ悲惨 世に伝え」(asahi.com)

上の切り抜きをこの二週間毎日眺めていた。原爆と写真の関係ということを考えていた。

余りにも有名な1961年に東松照明が撮影した被爆者、片岡津代さん(当時40歳)のケロイドに覆われた顔の写真(大)に、現在の片岡さん(88歳)の写真(小)が添えられている。それらは、1945年8月9日から1961年までの悪夢のような時の流れとそれから2009年までの神聖な時の流れの対比によって片岡さんの人生の輪郭を雄弁に物語っているように感じられた。そして相場郁朗氏が撮影した、偶然にも私が愛用しているのと同じコンパクトカメラを構える最近の東松照明さんの神々しい表情の写真は、もうひとつの時の流れ、宿命的な写真家としての人生を見事に捉えているように感じられた。

 原水協から依頼されて長崎に入った東松は、静かに訴える写真を撮った。原爆投下の時刻で止まった時計、爆死した信徒のロザリオ。そして片岡に巡り合う。独身を通さざるをえなくなった彼女をみて、「なんて残酷なんだ」。片岡の写真がはいった写真集は、英語版とロシア語版がつくられ、世界中に届く。
 ローマ法王に謁見(えっけん)するなど片岡は有名になり、多くのカメラマンが訪ねてきた。片岡は「東松照明を知ってるか?」と尋ね、知らないと答えると撮らせなかった。数々のレンズが彼女のケロイドに向かった。「東松先生だけは、傷のない左側からも撮ってくれた」

 「終わりがない悲惨」を撮ったのち、東松は何度も長崎を訪ね、98年に移り住んだ。「女性を好きになると、ずっといっしょにいたいと思う。長崎に住むのは、この街にいたいから。恋に近い感情なんですね」

 今年10月、地元で開く写真展には、片岡の「今」を撮った作品も展示する。一人暮らしをする彼女が通いつめている天主堂で、こけむした被爆聖像とともにいるところを。片岡はいう。「若い時は苦しかった。今は、平和のために私を見てください、と言える」

原爆という人類最大の悪が広島、長崎の地上と人々に焼き付けられた。その未曾有の記録さえ時の流れのなかで忘却されようとしている。2001.9.11よりもずっと深刻な罪を1945.8.6そして8.9という日付とともにわれわれは背負っている。そのことの意味を東松照明と片岡津代は静かに訴え続けているのだと思う。


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