あなたはホストにはなれない


 S坂さんちのムクゲ木槿, Rose of Sharon, Hibiscus syriacus


「見事ですね、このムクゲ」と声をかけると、S坂夫人は笑顔で近づいてきて、こんなに沢山花をつけたのは今年が初めてだというムクゲについていろいろと話を聞かせてくれた。それはイボタの木の生け垣に囲まれた角にある。「最初は数十センチの苗木だったのよ」とちょうど膝くらいの高さに掌を広げてみせた。「それじゃあ、それからもう十年、いや二〇年くらいたちますか?」「そうねえ、もっとかしら。色も鮮やかでしょ。毎朝縁側から眺めるのが楽しみなの。コーヒーを飲みながらね」とちょっと照れくさそうに笑った。「いいですねえ! 朝、コーヒーを飲みながら庭の花を眺めるなんて。幸せだなあ!」「そうね。でも、この歳になると、庭仕事はきついのよ。このムクゲの世話も大変よ」ほっとくと伸びた枝が生け垣の外に設置された町内ゴミステーションの屋根にかかってしまうのだという。たしかに、すこしかかっていた。「放っときゃいいんですよ。ゴミステーションを覆うくらいに伸びたっていいじゃないですか」と私は無責任なことを言った。しかし、S坂夫人は、それには首肯しなかった。そのゴミステーションは木製の箱形で前面にネットを垂らした簡単な作りのものだった。ゴミ収集係の人たちはそのネットを持ち上げて屋根に載せて仕事をする。ところが、ムクゲの枝が伸びて屋根にかかると、ネットを屋根に載せることができなくなり、仕事に支障が生じる。S坂夫人には、ゴミ収集係の人たちの顔が浮んでいるようだった。そこまで配慮した上で、伸びた枝を切ることを優先しているのだった。「ゴミ収集の方たちも、これを見上げて、綺麗ですねって、言ってくれるの」「そうでしょうね。これを見上げたら、一瞬でもこころが和むでしょうね」私はムクゲにカメラを向けて色んなアングル、距離でシャッターを切った。モニターで写真を見てもらった。気に入ってくれた写真が何枚かあった。プリントしてお持ちすることを約束した。別れ際、S坂夫人は生け垣から飛び出した見覚えのある葉を摘み取り始めた。「ヤマブキが飛び出しちゃって」「ああ、あの黄色い花のですね」私は何度も見かけて、どうしてこの生け垣からヤマブキの花が咲いているのかと最初は訝ったものだった。「いいじゃないですか。ここからぽつりぽつりと黄色い花が飛び出していても」と私はまた無神経な発言をした。彼女はこれに対しても首肯せず、なぜかヤマブキの葉を摘み取り続けた。しかし、それはS坂夫人の美的感覚の問題のようだった。


最近、マサオ君は奥さんにそんなに気軽に町内のご婦人方に声をかけるのは止めて頂戴、と釘をさされているが、それには耳を貸さないようだ。たとえマダムキラー(→ マダムキラーってどんな意味ですか?)と噂されようとも、彼は止めないであろう。もっとも、奥さんはそんなことは心配していない。ありえないと確信している。そうではなく、仕事もしないでぷらぷらしているように見られるのが嫌なだけである。ちなみに、奥さんは、日々、あなたに一番向かない職業はホストね、と念を押すように言い聞かせている。なぜなら、「普通の」女性が喜ぶ「優しさ」がマサオ君には欠如しているからだそうだ。それどころか、他人の神経をわざと逆撫でするようなことを言う嫌な性格であるらしい。本人は口では、いや、俺はいいホストになれる素質がある、と強弁しているが、内心では痛い所を突かれたと思っている。