普通の意味では旅人ではない、ただの散歩人にすぎない私だが、ときどき、ブルース・チャトウィンみたいに、オレはこんなところで一体何してるんだろう? なんて呟いて、ボーッとしていることがある。風太郎亡き後も、風太郎が町内の人たちに残した悪くない印象に助けられるようにして、変に怪しまれずに(多分)、写真を撮りながらの散歩を続けているうちに、少しずつ少しずつ町内の人たちと親しくなってきた。ここがオレの生きるシマだ、オレは写真配達夫だ、なんてちょっと無理して自分に言い聞かせていたこともある。一年前には、映画が俺の故郷だと言ったジョナス・メカスをちょっと意識して、ブログがオレの故郷だ、なんて威勢のいいことを公言していたこともある。いろいろと意味づけはできるだろうし、実際してきたが、本当はほとんど本能的に生きているに過ぎない。
風太郎時代からの顔なじみで、毎日朝晩二回サフラン公園にひとりで一服しにやってくるお婆さんがなぜか気にかかっている。一人暮らしなのか、家では煙草を吸えない事情があるのか知らない。夜の公園の東屋の暗がりの中でひとりで煙草を吸っている姿に幽霊かとぎょっとしたことがある。少し前にはじめて会話した。故郷は利尻島。30年前にここに流れてきた。それ以来帰ったことはないし、帰る場所もないという。それ以上の詳しいことは語りたがらなかったし、聞けなかったのだが、おばあさんの表情や毎日の行動には、寂しさが滲み出ているような気がした。
姜信子さんの旅の友である、朝鮮半島からロシア極東、そして中央アジアへと追放されながらも逞しく生き抜いてきた高麗人の末裔のひとり、ウズベキスタン生まれで現在タシケントに住む写真家、フォト・ジャーナリストのアン・ビクトルは、高麗人の流浪の歴史=記憶を掘り起こす旅で、遠東(ロシア極東)にある先祖の土地を踏んだ時、それまで抱いていた「故郷」に対する思いが溶けて消え、そもそも俺たちに帰るべき「故郷」なんて実はないんだと語ったという(姜信子『追放の高麗人』270頁、asin:4883440842)。そんなものかもしれないと思う。
私はどこかで祖父母が生まれ育った東北に自分の帰るべき故郷があるような気がしていたが、最近は、ここしかない、でもその「ここ」はこことは限らない、どこに行くことになったとしても、そこを「ここ」として生きるんだろうなあ、とつまりは「なるようにしかならない」みたいなだらしない心境にある。