通過者の自覚

かつて宮本常一が日本各地を歩きながら撮った10万枚の写真に度肝を抜かれた森山大道は、それら10万枚の写真は、誰もが目を奪われ時代を特徴づけるような「突出した出来事」には目もくれず、それらとは正反対の、いわばその裏側の「突出していない日本の場所を全部埋めている」と語った。つまり、今ではほとんどすべて忘れられた「日本人の」日常の暮らしの細部。

また森山大道は、それら10万枚の写真は、圧倒的に徹底的に「通過者の視点」であることを強調した。宮本常一は圧倒的に徹底的に「通過者」だった、と。「物狂いが日本中、巡っているという感じ」とまで評した。たしかに、宮本常一は無常観のなかで旅や念仏そのものを「住処」とするような俳人やある種の僧のごとく歩き続ける人生を送った。郷里といわれる山口県周防大島には定住したわけではなかった。敢えて言うなら、彼にとっては少なくとも日本列島の隅から隅まですべてが「故郷」のように感じられていたに違いない。

しかし、「通過者」とは宮本常一のようなそれこそ「突出した人」だけを指す言葉ではないと思う。この世に生きるすべての人はこの世から去るわけで、そういう意味では、すべての人はこの世の「通過者」にすぎない。それが本来の姿。したがって、この世をどのように通過するかということが本当は問題になる。何を作り、何を壊すか。何を残し、何を残さないか。あるいは何を受け渡すか。私はそのことをどれだけ自覚しているだろうかと自問する。越境の旅を続けるなかで姜信子さんが逢着した解答は「希望を受け渡す」だった。シンプルすぎて難しいことだ。

というのも、例えば、実際には色んなことがあるにせよ、極端に単純化して言うなら、今日と同じような明日が来ることにワクワクして生きているかどうかということだから。言い換えれば、「俺たちには他には何もなくても明日がある」ということを明確な希望にすえて生きているどうかということだから。もし、そうでないなら、今の生き方がどこか間違っているということになり、その間違いを正す方向に踏み出すしかないということになる。そしてそれは、どこに力を入れていいのかすぐには分からない非常に難しい体操のようにも感じられるから。

でも、わたしたちはたいてい子供の頃にはそうやって生きていたのではないかと思う。だから、子供の頃の感受性を回復する工夫をすればいい。私の場合は、散歩を続けることがそんなエクササイズであるような気がしている。毎日散歩の傍ら写真を撮り続けながら、私はいい歳をして、どんどん、明日の遠足を楽しみに待つ子供に近づいているようだ。子供のようなハートを持った爺、、。


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