そんな風に想像されていたとは

火曜日は「燃やせるゴミ」の日。少量の生ゴミの入った有料袋を持って散歩に出た。ゴミステーションの前でめったに会わず、まともに話したことのない年配の真船さんにばったり出会って、「ワンちゃんは?」と声をかけられて、一瞬戸惑った。そうか、真船さんは知らなかったんだ。私は心の中で時間を少し巻き戻しながら、「ああ、2月に死にました」と答えたが、よく聴こえなかったらしく、「やっぱり、探し歩いていたのか」と意味不明の言葉が返ってきた。私は「風太郎は2月に13歳、人間の年齢で言えば96歳で、まあ大往生と言ってもいいかと思いますが、死にました」と少し大きな声でもう一度繰り返した。そしてすぐに、「一人で散歩するのは最初は億劫だったんですが、メタボにならないようにということもあって、こうしてカメラを持って写真を撮りながら散歩してるんです」と付け加えた。すると真船さんは「逃げたんじゃなかったんだ……」と少し驚きの表情を浮かべた。「え!?」 実は、真船さんは最近私が一人で散歩していることに気づいて、てっきり、逃げた風太郎を探し歩いていると思い込んでいたのだった。「三上さんは風太郎を探し歩いている」 そんな風に想像されていたとは思いも寄らなかった。それは新鮮な体験で、一種の感動すら覚えたのだった。真船さんは家の窓から、私と風太郎が真船さんちの前を通りかかるのをよく見かけたらしい。「小さい頃から見ていたからなあ……」と懐かしんでくれた。真船さんと別れた後、待てよ、真船さんの想像は全く根拠のないものではなくて、もしかしたら、オレはある意味では本当に風太郎を探して歩いているのかもしれないな、と思ってしまったから不思議だ。