船作り

自分がやっていることの根源的な意味というわけでもないのですが、なんとなく拠り所、縁(よすが)のようなものになっているイメージがあります。それは船です。自分は船を作ろうとしているというイメージというかヴィジョンがときどき頭の中に浮びます。それは、おそらくノアの方舟にまで遡ることのできる船のイメージで、ル・クレジオや姜信子さんが越境の旅の果てから持ち帰ってくれたイメージに近いものです。すこし説明するなら、僕らは、目には見えないし、感じとることも難しいけど、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、明らかに「洪水」に襲われていて、今にも溺れ死にそうな、瀕死の状態にある。洪水に気づかなければ、船の意味にも気づかないわけですが、、。生きるためには、その洪水を乗り切らなくてはならない。しかも、一人で生き残ってもしょうがない。少なくとも出会ったひとたちと一緒にその洪水を乗り切りたい。そのための船、あるいは少なくともその部品を自分は作ろうとしている。そんなイメージがときどき浮ぶわけです。そんなことはすっかり忘れてしまって、気づいたら、作りかけた船を壊すようなことをして、本当に溺れかけるということもあるのですが、そんな時には、誰かが、浮き輪や板切れを投げてくれて、それにつかまって命拾いする。そして、そうだった、おれは船を作っているんだった。忘れていた。やばい、やばい、と反省するのです。最近、故あって、宮本常一の仕事を振り返っているのですが、彼の仕事の本質は、日本人全員が乗れる「船」を作ろうとしたところにあったのだと直観しています。その背景には、彼を物心両面で支えた渋沢敬三の慧眼と百年未来を見据えた本物の学問の基礎作りのヴィジョンがあったわけで、その意味では渋沢敬三宮本常一という、ドゥルーズ=ガタリのような複合的な主体を念頭に置かなければならないとも感じてはいます。話が逸れてしまいそうなので、この辺で切り上げますが、僕は僕でできる範囲で船を作ろうとしている。生きている間にはできないかもしれないけれども、とにかく作ろうとしている。そんな風に感じることがあるのです。蛇足ながら、僕がブログを介して出会った人たちは皆、それぞれの流儀で船を作ろうとしているのだとも感じています。