母が生きていたら、こんな話を聞きたい。そんな話を聞くようにして、昨夜は森崎和江さんの文章を読んだ。ものを見る、ものを語る、ものを書くときに、体の奥の方でいつもひっかかりを感じているのは、産む性としての女、そしてこの私を産んだ母の存在と視線だった。想像力によって、錯覚と言われても構わないが、植物や動物には限りなく近づける、ある意味で「成れる」気がしてきたが、女や母にはどうしても近づけない、「成れ」ないもどかしさを感じてきた。幼い頃母を亡くしたせいかもしれない。いや、それ以前に母に一度捨てられたという癒えない傷のような記憶があり、そこから目を逸らしてきたからかもしれない。三、四歳の頃、よくある嫁姑の諍いだったのだろう、夜、母の泣き叫ぶ声で目が覚めた。暗闇のなかだった。わずかに開いた襖の隙間から隣の部屋の明かりが漏れていた。何か尋常ならざることが起こっていると感じたが、その後の記憶はない。翌朝、母はいなかった。家を出たのだった。三、四日して、母は戻ってきた。しかし、私にとっては取り返しのつかないことが起こったようだった。そのときの暗闇の中に置き去りにされたという事実が大きな衝撃となって、その時の部屋の暗さと隣の部屋から漏れてくるわずかの光が、その後、現在に至までの原型的な心象風景となってしまった。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだ。いつも心の中に闇がある。だから、他人の「闇」や炭坑の闇に惹かれもするのだろうと思う。私にとっては旅も散歩も読書等も、時間軸を遡行しながら、自分の心の闇を掘り進めて、どこかに大きな穴を開けようとする行為なのかもしれない。そして、森崎和江さんの「精神史の旅」、心の旅の話を読むことは、実際の母との関係性の問題を越えて、女や母の眼差しに近づきながら、古来封印されてきた日本社会の闇に触れ、そこにこちら側の言葉と光を浸すような行為であるのかもしれないとふと思った。