ソローの『ウォールデン』の終章「春」のなかの一節に、日本語では注意を向けにくい、「葉」をめぐる、私にとっては非常に興味深い、ある世界観、「葉的世界観」が語られている。
地球でも、動物のからだでも、内部を見れば一枚の湿った厚い葉(lobe)であるが、この語はとくに、肝臓や肺臓、豚の葉状脂肪などに適用される。(λείβω, labor, lapsusは、それぞれ流れくだる、滑り落ちる、落下する、を意味し、λοβος, globusはそれぞれ葉、地球をあらわすが、そのほかにも重なる、垂れさがるなどを意味する多くの語が、ここから生まれている)。では外部はどうかといえば、それは一枚の乾いた薄い葉(leaf)であって、ちょうど [leafやleavesの] fと v が b を圧縮し乾かしたものであるのと同様である。lobe(葉)の語根は lb であり、b(これは単葉、[大文字の]Bならば複葉)のやわらかいかたまりを、うしろにいる流音の l が前方へ押し出している格好だ。globe(地球)の場合には、glb が語根であり、喉頭音の g は lb の意味に喉頭の力を加える働きをしている。鳥の羽毛や翼は、さらにいっそう乾いて軽くなった葉である。したがって、これとおなじように地中のずんぐりとした幼虫から空中にはばたくチョウまでの過程をたどることができる。地球自体が、たゆみなく自己を超越し、変形することによって、その軌道を天翔けるようになるのだ。氷にしても、凍りはじめるときは、水生植物の葉が鏡のような水面に刻みつけた鋳型のなかに流れこんだかのように、まずは繊細な水晶体の葉となる。樹木自身は全体として一枚の葉にほかならず、河川はさらに大きな葉であり、その葉肉は川のあいだにひろがる大地、町や都市は葉柄のつけ根に生みつけられた昆虫の卵である。(飯田実訳、岩波文庫版『ウォールデン』下巻243頁〜244頁)
Internally, wether in the globe or animal body, it is a moist thick lobe, a word especially applicable to the liver and lungs and the leaves of fat, (λείβω, labor, lapsus, to flow or slip downward, a lapsing; λοβος, globus, lobe, globe; also lap, flap, and many other words,) externally a dry thin leaf, even as the f and v are a pressed and dried b. The radicals of lobe are lb, the soft mass of the b (single lobed, or B, double lobed,) with a liquid l behind it pressing it forward. In globe, glb, the guttural g adds to the meaning the capacity of the throat. The feathers and wings of birds are still drier and thiner leaves. Thus, also, you pass from the lumpish grub in the earth to the airy and fluttering butterfly. The very globe continually transcends and translates itself, and becomes winged in its orbit. Even ice begins with delicate crystal leaves, as if it had flowed into moulds which the fronds of water plants have impressed on the watery mirror. The whole tree itself is but one leaf, and rivers are still vaster leaves whose pulp is intervening earth, and towns and cities are the ova of insects in their axils. (Henry David Thoreau: A Week on the Concord and Merrimack Rivers; Walden; or Life in the Woods; The Meine Woods; Cape Cod, The Library of America, 1985, pp.566–567)
「葉」は ‘leaf’ であると同時に ‘lobe’ でもあること、とくに ‘lobe’ の側面は見落とされがちである。実際に、動物の臓器名に‘lobe’ としての「葉(よう)」がつくことを私は見過ごしてきた。葉といえば、植物の‘leaf’ としての葉(は)をもっぱらイメージして、臓器に葉をイメージすることは全くなかった。例えば、「前頭葉(frontal lobe)」の「葉(lobe)」から葉(leaf)を連想したことはかつてなかった。解剖学的にも、動物の身体が植物の身体をちょうど裏返した構造であることを考えれば、植物の葉が動物の臓器に相当することは明らかであるにも関わらず、動物の臓器に「葉」を見る、しかも積極的に見るということに無意識の抵抗があったのかもしれない。さらに、ソローはそもそも動植物の母胎ともいうべき「地球(globe)」自体を一個の巨大な「葉(lobe)」として見る。しかも、「喉頭音の g は lb の意味に喉頭の力を加える働きをしている」という音声学的指摘は、体内の「岬」とも言うべき「喉頭」によって、呼吸による空気の流れ、風が、声や歌に変えられる、言語の原風景ともいうべき劇的瞬間を鋭く捉えていることを示しているように思う。地球は宇宙の歌声に吹かれて天翔る一枚の葉である、と。
ついでながら、『コッド岬』にみられるソローの「岬」に対するこだわりの理由の一端には、岬が海上からの風を最初に捕らえる場所であり、人間の喉頭に相当する場所であるという認識もあったのではないかと推察する。
書名について一言すれば、「岬(ケープ)」はフランス語の cap [カプ] に由来し、さらに遡ればラテン語の caput [カプット](頭)に行き着く。このラテン語は、おそらく動詞の capere [カペーレ](掴む)から派生しており、「幸運の女神の前髪を掴む」のように用いるところから、掴まえる部位------つまり頭部------を指すようになったのだ。蛇だって、頭を掴まえるのが一番安全ではないか。(飯田実訳『コッド岬』工作舎13頁)
As for my title, I suppose that the word Cape is from the French cap; which is from the Latin caput, a head; which is, perhaps, from the verb capere, to take, ––that being the part by which we take hold of a thing: ––Take Time by the forelock. It is also the safest part to take a serpent by. (Henry David Thoreau: A Week on the Concord and Merrimack Rivers; Walden; or Life in the Woods; The Meine Woods; Cape Cod, The Library of America, 1985, p.851)