記憶の彼方へ15:私の知らない母の歌声


私が生まれる数年前、昭和30年頃だろうか。汀に立つ私の知らない母。私の娘たちを知らずに死んだ、私の娘たちよりも若い私の知らない母。写真を裏返してみて驚いた。「六月三日/室蘭電信浜にて/モデル/伊藤富子」と万年筆でブルーブラックのインクで確かに父の筆跡で書かれていた。「三上富子」ではない、旧姓で、しかも、「モデル」、、。この写真を撮った時の父の鼓動が聞こえて来る気がして、微笑ましくなった。こんなことをすると、また、あの世で父も母も眉をひそめているだろうが、こんな写真やメモを残したのも何かの「電信」かもしれないと思ってさ。電信浜で、穏やかに波打つ海面も何かの電信みたいじゃない。二人はNTTがまだ電電公社日本電信電話公社だったころに出会った。父は電信、母は電話、だったらしい。沖に浮ぶ小舟も気になるなあ。親父よ、俺が知っているあなたの写真より、この頃の、若い頃の写真の方が、はっきり言って、好きだよ。いいよ。ラフカディオ・ハーンは、人生の決定的な瞬間には、いつも、自分の魂の心底にある母なる声に耳を傾けていたらしいけど、この写真のお陰で、今まで忘れていたお袋の声が、歌声さえ、聴こえてきたような気がしたよ。ありがとう。


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Kaiさん、死んだお袋にも歌わせたくなってさ、、。

「歌はじめ」(『萌時』2010-04-02)