私が生まれる数年前、昭和30年頃だろうか。汀に立つ私の知らない母。私の娘たちを知らずに死んだ、私の娘たちよりも若い私の知らない母。写真を裏返してみて驚いた。「六月三日/室蘭電信浜にて/モデル/伊藤富子」と万年筆でブルーブラックのインクで確かに父の筆跡で書かれていた。「三上富子」ではない、旧姓で、しかも、「モデル」、、。この写真を撮った時の父の鼓動が聞こえて来る気がして、微笑ましくなった。こんなことをすると、また、あの世で父も母も眉をひそめているだろうが、こんな写真やメモを残したのも何かの「電信」かもしれないと思ってさ。電信浜で、穏やかに波打つ海面も何かの電信みたいじゃない。二人はNTTがまだ電電公社、日本電信電話公社だったころに出会った。父は電信、母は電話、だったらしい。沖に浮ぶ小舟も気になるなあ。親父よ、俺が知っているあなたの写真より、この頃の、若い頃の写真の方が、はっきり言って、好きだよ。いいよ。ラフカディオ・ハーンは、人生の決定的な瞬間には、いつも、自分の魂の心底にある母なる声に耳を傾けていたらしいけど、この写真のお陰で、今まで忘れていたお袋の声が、歌声さえ、聴こえてきたような気がしたよ。ありがとう。
- 記憶の彼方へ001:私の知らない祖父母(2008年02月27日)
- 記憶の彼方へ002:私の知らない父と私(2008年09月17日)
- 記憶の彼方へ003:幼い兄弟(2008年12月02日 )
- 記憶の彼方へ004:父母の遺影(2008年12月27日)
- 記憶の彼方へ005:あやめヶ原の祖母(2008年12月28日)
- 記憶の彼方へ006:私の知らない私(2009年12月07日)
- 記憶の彼方へ007:私の知らない曾祖父母か(2009年12月09日)
- 記憶の彼方へ008:私の知らない祖母と友人達(2009年12月26日)
- 記憶の彼方へ009:私の知らない母と私(2009年12月27日)
- 記憶の彼方へ010:私の知らない家族の肖像(2009年12月29日)
- 記憶の彼方へ011:私の知らないカップル(2010年01月26日)
- 記憶の彼方へ012:観覧車のある風景(2010年01月28日)
- 記憶の彼方へ013:私の知らない少年、少女(2010年01月28日)
- 記憶の彼方へ014:親子三代(2010年01月30日)
Kaiさん、死んだお袋にも歌わせたくなってさ、、。