闇は闇ではない、瞽女の人生


瞽女―盲目の旅芸人 (1972年)越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん (新潮文庫)


なぜ瞽女に惹かれるのだろう。その答えに近づけるような気がしたのかもしれない。研究書ではない、二冊に吸い寄せられるようにして読んでいた。「よるべない闇の人生」(水上勉)と言われるその「闇」の深さと底と思いもかけない広がりに気づいていた。「瞽女の声の中に自分をなげいれ」て、自分が「瞽女になる」覚悟で描かれた斎藤真一の瞽女さんの絵に引き込まれていた。水上勉もまたおりんになって、あるいはおりんを手引きするように実際に北陸の瞽女道を歩いたんだろうな。私もいつか目を瞑って瞽女道を歩いてみたい。闇は闇ではない。目が見えることによって見えなくなりがちな世界がぐ、ぐっと内側に広がり、記憶の襞の陰までが見える。それが闇のような気がしてきた。

 はなれ瞽女おりんのことを書く。
 その前に瞽女のこと、ならびにはなれ瞽女というよび名について説明しておく。瞽女とはひと口にいって、盲目の女旅芸人のことである。
 彼女たちは、仲間をつくって一定の住居に集団生活をなし、時期をきめて旅に出る。ゆく先は、諸方にある瞽女宿であるが、そこで寝泊まりするのに、持参した三味線を奏で、瞽女唄といわれる説教節に似た語りもの、時には時事小唄、その地方の古謡などをうたって、あつまった老若男女をたのしませ、また時には、僻地の人びとの知らないニュースを、盲目だから、見てきたわけではなくて耳できいたことを、問われるままにつたえて、秋から冬春にかけての長い一夜をすごすのである。時に吹雪にでもなれば、二、三泊させてもらって、また次の村落の瞽女宿をめざしてゆく、といった遊芸の放浪者とでもよびたい女たちのことを、日本海辺に育った者は、「瞽女」とよんできた。

(中略)

 どこの国でも生まれながらの盲女はいた。幼児に患ったがもとで全盲になった者もいた。それらの盲女たちが、貧乏ゆえ、口べらしのため家出をよぎなくされ、よるべない闇の人生を、血縁のない親方を「母さん」とよび、先輩を「姉さん」とよんで、修行につとめた光景は、雪ふかい越後のことゆえ、尚更、悲劇性をつよめるのだが、こうして弟子入りした娘も、それでは、親方の教えを守って、一人前の瞽女に育つかというと、なかには年頃に、性の渇仰をおぼえて男と交わり、子をなしたり、あるいは、遊女に堕ちてゆくといったケースも多かったと記録はのべている。
 途中で、瞽女仲間からはなれていった盲女の数は無数であった。掟や躾がきびしく、修行にいや気がさす者もいて不思議でない。また、「名替え」を終えて、「弟子とり」に迫る年頃でも、旅でゆきずりあった男にだまされて、一夜の喜びを知り、折角の苦労も水泡に仲間を捨てて去った女もいたという。瞽女は、自立上、掟を破ったものに刑罰をあたえた。すなわち、男と交わった者は仲間はずれとなし、どのような辺境の旅の途中でも脱落させた。
 世に「はぐれ瞽女」「はなれ瞽女」「落し瞽女」などといったよび名でよばれる盲女は、この種の女のことで、仲間からはずされると、諸方の親切な瞽女宿に泊まることもゆるされず、村はずれの地蔵堂阿弥陀堂をねぐらとして、もう一つの孤独な旅をつづけたとみてよい。この物語の主人公おりんは、つまり、そのような、仲間はずれの瞽女であって、彼女はある時は、道でゆきずりにあった孤児や男を手びきとして、ある時は、手びきなしで、北国一円を旅した。ながい前書きになった。
 章をあらためて、おりんの話にもどる。(水上勉『越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん』新潮文庫、2002年、82頁〜92頁)

 私は、この一文を瞽女学術書、歴史書、並びに研究書といったものにしたくないと思った。言わば、私が何かを話したい、語りたい、それを伝えたいと言う気持ちから、出来るかぎり文献にたよらず、私が見、私が知り、私が歩いて、そこで得た経験から、その感動を出来るかぎり事実に即して、一部始終とどめて置きたかった。
 そしてこの記を、多くの方に日本の歴史の裏面にあった一株の悲しい瞽女といわれる盲目の女旅芸人の声として記録してみたかった。これは劇でもなければ、もちろん小説でも随筆でもないので、あるいはくどくどした、口説に終わってしまったかも知れないが、それは何卒お許し願いたい。
 歴史というものは、すでに去ってしまったものを明らかにしようとする行為であるが、いろいろと縦横に論説して、とかく虚像を作り上げてしまう恐れがあるものだ。それはそれとして、大変有意義なことではあっても、そのような行為は、やはり私には、一抹の淋しさ、空しさがぬぐいきれない。なぜであろう……。
 だからここで瞽女の歴史など書こうとは毛頭思わなかった。書いても、それがどれだけ人間の生きるすべての生活の上にプラスになって芽ばえ広がって行くであろうか。やはり観念の遊戯にほかならないのではなかろうか。
 私は、観念の遊戯を否定する。真の芸術のすべてには、観念的なものは許されないからである。すなわち、観念には魂も心も存在しないからである。
 だから瞽女というものを解明するのではなく、瞽女の声の中に自分を投げ入れるよりほか方法がないと思った。実は私自身も貴方自身も瞽女になることかも知れない。すなわち瞽女を外から嗜好的に眺めて、一たい何んになるのだ。そんなものは、名画、例えばモナリザの前に立ったか弱き鑑賞者にすぎない。鑑賞者は近代文明の生んだ魂の不具者だ。批評する……それも一つの嗜好的遊戯である。それより事実のモンナリーザ・ジオコンダを自分で描くよりほかないと、私は瞽女さんたちや村びとたちから学んだものがこの書である。
 モナリザは不気味なえみをうかべて笑っている。瞽女さんたちも笑っているのだ。(斎藤真一『瞽女 盲目の旅芸人』日本放送出版協会、1972年、2頁〜3頁)