自然の自己記録性



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最近の枕頭の書の一冊。管啓次郎「みずからの風の色を」(『風の旅人』vol.40)で知った。毎夜寝床のなかで世界各地の魅力的な集落に心を飛ばして、実際に行ってみたいなあ、こんな住居や集落で暮らしてみたいなあ、と何度も呟いては、夢見心地になり、そのうち眠りに落ちる。『集落の教え100』(彰国社、1998年)は、建築家・原広司が世界百カ所の美しい、見事な「集落」を自然の潜在力のひとつである人間の構想力の「記録」として留めたものである。自然の部分にすぎない人間の意識は、自然の「自己記録性」であるという指摘に共感した。つまり、人間は自然の「記録者」である、と。

(自然とは)時間的に変動している現象の全体。その存在は仮想的な存在であって、諸個人が意識するのは、自然の部分である「世界」である。人間は当然ながら自然の部分であり、意識現象もその枠組の中にあり、ヘーゲルが指摘したように、自然は人間の意識現象において「向き合った」構えをとっている。意識現象はそれゆえに、自然の時間的変動に即した<自然の自己記録性>としての性格をもっている。ここから、人間の存在は自然の記録者と位置づけられる。(209頁)


今暮らす町を人間が生きる優れた時空デザインとしての「集落」に関する100の教えの観点から見直し始めている。


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