追放の高麗人(コリョサラム)の運命

『流転〜追放の高麗人と日本のメロディー〜』(2003年熊本放送


高麗人(コリョサラム)とは、1937年に「日本人と見分けがつかない」ことを危険視され、スターリンによって中央アジアの地に追放された約20万人の極東ソ連朝鮮民族のことである。私は姜信子さんが彼らの激動の運命を追ったことで初めて知った。

追放の高麗人(コリョサラム)―「天然の美」と百年の記憶

追放の高麗人(コリョサラム)―「天然の美」と百年の記憶


このビデオでは、さらに新天地を求めてロストフの地に移り住んだコリョサラムたちの人生を垣間見ることができる。そのなかには樺太(サハリン)からやってきた家族も少なくないという。夫ムン・ヘグンさんと妻キム・ミエコさん夫妻。二人は樺太で生まれ、日本人小学校に通った。しかし敗戦によって日本人は日本に帰ったが、彼ら朝鮮半島出身者はサハリンに取り残された。日本語しか話せなかった二人は必死にロシア語を覚え、1967年サハリンから6千キロも離れたロストフに移り住み、馴れない土地で生き抜いてきた。二人の心は日本人で、日本はまだ見ぬ「故郷」だが、この国で死ぬ覚悟はできているという。「ほんとに、運が悪かったんですよ。そうでしょ? そうでしょ? まあ、それでも、まあまあです」と言うミエコさんの言葉は重い。二人は「天然の美」を歌う。1902年、九州佐世保で生まれた日本初のワルツ。膨張する近代日本とともに朝鮮半島の民に伝わった美しくも哀しい調べである。このビデオには、姜信子さんの旅の道連れでもあった素晴らしい写真を撮るウズベキスタンの写真家アン・ビクトルの姿もちらりと見える。


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