昭和30年前後。私が生まれる少し前に父が撮った裁縫する祖母の写真。夕食の後片付けが終わって間もない時間だろうか。割烹着はそのままに、外した頬っ被りを肩にかけて、何だろう、大きな布の端を仮縫いでもしているようだ。ほつれた髪の毛と額の皺とこけた頬には貧しさと苦労が滲み出ている。待針をきっと銜えて指先に集中する表情には見覚えがあるが、私の記憶の中では祖母は眼鏡をかけ、背が丸まっている。ふと針仕事はくたびれた体と心を自ら癒す働きがあるのだろうかと思う。糸のもつれた塊のような心労や不安が少しずつほぐれていって、指先の針を通して糸に伝わり、布の縫い目になっていく。そんなイメージが浮ぶ。それにしても、よくこんな姿を撮らせたものだ、撮ったものだ。いい写真だと思う。裸電球だろうか、蛍光灯だろうか(日本では1950年代半ばから蛍光灯が普及し始めたといわれるから、微妙なところだ)、真上から照らす照明は祖母の俯いた顔から首にかけて、そして布の襞に柔らかい陰翳を作っている。背後の障子には継ぎが当ててある。
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