そのおじさんの名前はまだ知らない。満足に言葉を交わしたこともない。年の頃は六十。毎朝よれよれのベレー帽をかぶり、ピンク系のよれよれのシャツを着て、大きなよれよれのリュックを背負い、昔風の太く長い水筒を肩にかけ、書類っぽい紙の束が大量に入った大きめのスーパーのよれよれの買い物袋を左手に下げて、一目見たらそのおじさんと分かる独特のテンポで悠然と南の方から歩いて来る。一見全体的にかなりくたびれた感じではあるが、その存在感は一際異彩を放っている。誰かと話す姿を見たことはない。いつも独りで、しかもどこかに向かって歩いている。私が散歩の後半、サフラン公園にいる頃に、そのおじさんは公園を不思議な風のように横切って北の方に向かう。すれ違うとき、必ず私から声をかける。おはようございます。言葉は返ってこないが、そのおじさんは空いている右腕を突然力をこめて振り上げると同時に、毎回微妙に違うはっきりとは聞き取れない声を上げる。オッすとかヨシっと聞こえる時もある。しかし言葉なんかより、その力強い一瞬の身振りの圧倒的な雄弁さに感動する。最初はちょっと驚いたが、今ではそれが嬉しい。そしてそのベレー帽のおじさんに会うのが楽しみでもあり、その存在はなぜかとても愛おしい。