ポール・レオトーの肖像 Le Porttait de Paul Léautaud


ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集


ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908–2004)の友人のポートレイトのなかで一際目をひいたのは、かなりくたびれた様子の晩年のポール・レオトー(Paul Léautaud, 1872–1956)の写真である。主に半世紀以上にわたって書き続けた膨大な量の「日記」で知られる作家である。レオトーは木蔭に置かれたディレクターズチェアに腰掛けている。足を組んで両拳を軽く触れ合わせ目を瞑っている。完全に眠っているようには見えない。周囲の気配に全神経を集中しているようにも見える。木漏れ陽が彼の左肘と左腿のあたりにさしている。ズボンの左膝あたりには穴が空いている。



ポール・レオトーの肖像


菅野賢治氏は、パリの古書店で19巻におよぶレオトーの『文学日記』を手に入れたときの経緯について次のように語っている。

 最後に、私事にわたり恐縮ではあるが、レオトーを読むきっかけをわたしに与えてくれたのは、畏友アンドレ・ロワである。パリ留学中、1991年の初夏のことであった。その年の4月に急逝されたモーリス・パンゲ先生の追悼集会が、パリ市内のとある会場をかりて催されることになった。前日、会場の下準備を終えたアンドレとわたしは、サン=ジェルマン大通りに下りてカフェに腰をおろし、魂の抜けたような気持ちでぼんやりと表通りを眺めていた。喪の話題だけは避けようとお互い無言になり果てた。その時、汗ばむほどの陽気というのに黒い厚手のコートに身を包み、犬を二、三匹引き連れた老人が舗道を通りがかったのである。「ほら、見てみろよ、レオトーが通る」とアンドレが言い、そこから話はレオトーに飛んだのであった。「モーリスもレオトーの日記を愛読していた。」「一度、二人でマリー・ドルモアに会いに行って、レオトーの話をくわしく聞いたこともある。」レオトーの文章は一度も読んだことがないと白状するわたしに、アンドレは「ぜひ読まなくては。とくにスパンの死のくだりなどね」と勧めてくれたのだった。帰りがけ、ふと立ち寄った古書店の棚に古いメルキュール版の、ややくたびれた『文学日記』が並んでいる。真昼からやけ気味にドゥミ・プレッシオンを何杯もあおったせいもある。留学中の身に決して安いとはいえないその19巻に、口座の残高も確かめずに小切手を切った。

  菅野賢治著『ポール・レオトーの肖像』水声社、2001年、356頁〜357頁



禁じられた領域 (1973年)