川端康成のキクイタダキの観察と記述

川端康成(1899年–1972年)が34歳の時に発表した『禽獣』(1933年)は壊れやすい生命が壊れてゆくのをじっと観察する異様なほど冷たい目を感じさせる作品である。その目は鳥や犬ばかりでなく、女(千花子)にまで向けられる。その精緻で残酷な描写を読みながら、辻征夫が自伝風のエッセイの中で「吠える」ギンズバーグは好きになれなかった理由を語るくだりを思い出した。

ギンズバーグの偉大さは偉大さのままに、依然としてあっちの方に聳えているのだが、ぼくの資質はどうしようもなく、叫びよりは観察を、熱さよりは一種のつめたさ、あるいは平静さの方にひかれるのである。…トニオ・クレーゲルの、「創造する者になりきるためには死んでいなければならなぬということ」や「芸術家は、人間になって、感じ始めると、もうおしまいです」ということなどを思い出し、…

  辻征夫「自伝風ないくつか」(『現代詩文庫78 辻征夫詩集』思潮社、128頁)


たしかに、創造の鍵は自分をどれだけ「殺す」ことができるか、自分をどれだけがらんどう(空っぽ)に近づけることができるかという点にあると言えるかもしれない。その意味では、川端康成は自殺(1972年)によって、彼の人生そのものを「創造」する側に回ろうとしたと言えるかもしれない。


ところで、『禽獣』では日本最小の鳥であるキクイタダキ(菊戴 /鶎, Goldcrest, Regulus regulus)について多く書かれているが、その特徴に関する精緻な記述に感心した。特に色にたいする鋭敏な感覚が窺えて興味深い。

 菊戴の番(つがい)が死んでから、もう一週間も経つ。彼は死骸を籠から出すのも面倒臭く、押入へほうりこんだままなのである。梯子段を登って、突きあたりの押入である。客のある度に、その鳥籠の下の座蒲団を出し入れしながら、彼も女中も捨てることを怠っているほど、もう小鳥の死骸にもなれてしまったのである。
 菊戴は、日雀(ひがら)、小雀(こがら)、みそさざい、小瑠璃(こるり)、柄長(えなが)などと共に、最も小柄な飼鳥である。上部は橄欖緑(オリーブ)色、下部は淡黄灰色、首も灰色がかって、翼に二条の白帯があり、風切の外弁の縁が黄色である。頭の頂に一つの黄色い線を囲んだ、太い黒線がある。毛を膨らませた時に、その黄色い線がよく現われて、ちょうど黄菊の花弁を一ひら戴いたように見える。雄はこの黄色が濃い橙色を帯びている。円い目におどけた愛嬌があり、喜ばしげに籠の天井を這いまわったりする動作も溌剌としていて、まことに可憐ながら、高雅な気品がある。
 小鳥屋が持って来たのは夜であったから、すぐ小暗い神棚に上げておいたが、ややあって見ると、小鳥はまことに美しい寝方をしていた。二羽の鳥は寄り添って、それぞれの首を相手の体の羽毛のなかに突っこみ合い、ちょうど一つの毛糸の鞠のように円くなっていた。一羽ずつを見分けることが出来なかった。

  川端康成「禽獣」より(『伊豆の踊子新潮文庫、146頁)


参考までに、手元にある野鳥図鑑の記述を引用しておく。

キクイタダキ Regulus reglus L10cm 日本で最小の鳥。体はオリーブ緑色で、翼の白い羽縁、目の周囲の白色が目だつが、頭上の黄色は野外では見にくい。声:ツィーという細い声で鳴く。ツリリリとも鳴く。金属的な細い声でツチツチツチツチ、ツリリリとさえずる。習性:本州中部以北の山地の針葉樹林で繁殖する。冬は低山の針葉樹林にいて、カラ類やエナガと混群を作る。

  高野伸二著『フィールドガイド日本の野鳥』日本野鳥の会、1994年

キクイタダキ ヒタキ科

 落着きがなく、たえずせかせかと飛び回るわが国で最も小さい鳥の一つ。高い山の針葉樹林内で繁殖する留鳥であるが、冬になると北の方からも多数渡ってくる。頭の上に2本の黒い線に挟まれた冠のような黄色の羽毛があり、雄のは特に大きくて興奮するとこれを逆立てる。それを菊の花びらにたとえてキクイタダキの名がついた。夏の間は人家の近くで姿を見ることはないが、冬になると人里に下りてきて庭のエゾマツやオンコにもとまる。葉の中で虫を探すことが多いのではっきり姿を見ることはむずかしいが、チッとかチチチと細い声で鳴きながら葉先で動き回る姿は愛らしい。

  北海道新聞社編『北海道の野鳥』北海道新聞社、1978年


キクイタダキは北海道に留鳥として生息しているが、私はまだ見かけたことがない。ウェブ上では北海道の各地で観察された記録が散見される。この目で、川端康成の目を借りて、見てみたい。


ちなみに、キクイタダキルクセンブルクの国鳥である。


参照


キクイタダキの雌


キクイタダキの雄