そのオバさんと万が一すれ違ったときには、決して目を合わせてはいけません。なぜなら、その目の奥に引き摺り込まれて二度とこちら側に戻って来られなくなるからです。そんな噂を耳にしてから十年以上たつ。その間、私はそのオバさんを何度も見かけ、目を合わせたことが一度ならずある。たしかに、底知れない深さを湛えた彼女の目の色に、一瞬たじろいたこともある。しかし、その目の奥に控えているらしいあちら側は恐るべき場所ではなく、なんとなく懐かしい場所のような気がして、そのオバさんを見かけることを数少ない楽しみのひとつとさえ感じていた。真に恐るべき汚らわしい底の浅い目は実は他のいたるところにあると記すまでもなく感じていたからだろう。ある日、大きな橋の袂で立ち止まった彼女は肩にかけていた頭陀袋を歩道に置いて、まるで何かの儀式のように、その場で小さな円を描くように反時計回りに舞うように歩きはじめた。円周はわずかに車道にはみ出した。彼女は右足を車道に、私には見えない相手と踊るダンスのワンステップのように、トンと軽く優しく触れるように置いて、それから何事もなかったかのように、頭陀袋を肩にかけてまた歩き出した。大野一雄の舞踏のイメージが脳裏を掠めた。彼の母のイメージが彼女に重なった。こんな美しいダンスを見たことがないと私は感動していた。
Bill Evans Trio - Gloria's Step (take 1, Interrupted) (Alternate Take). June 25, 1961