真珠母色の和音


色を奏でる (ちくま文庫)

「緑と紫はけっしてパレットの上でまぜるな」とドラクロワは警告したという。
 緑と紫は補色にちかい色彩だが、補色どうしの色を交ぜると、ねむい灰色調になってしまう。この二色を隣り合わせに並べると、「視覚混合」の作用で、美しい真珠母色の輝きを得る、と。これは岡鹿之助先生の『フランスへの献花』という本のなかに書いてある言葉である。ちょうどモザイクのように、異なった色を隣り合わせに描いてゆき、少し距離をおいて眺めてみると、その二つの色はいきいきと輝いてみえる。
 私の織物の場合もまったく同じことが言える。織物はこの原理が、幸か不幸か織の仕組み上、必然のこととしておこなわれる。糸と糸は、絵の具のようにパレットの上で色を交ぜることができないからである。仕方なく、緑のとなりに紫を入れる。
 あるとき、赤と青の糸を交互に濃淡で入れていった着物をみて、美しい紫ですねといった人があった。紫はひと色も入っていないのですよ、と言うと、その人は不思議そうであったが、それが補色の特徴であり、「視覚混合」の原理であったのである。
 そのように仕事から教えられて納得することは、自分の身について一生離れないものであるばかりでなく、そのことを媒体として次の仕事への架橋となる。私が色の生態ともいうべき原理を教えられたのは、色の法則の根本は、色と色を交ぜない、あるいは交ぜられない、という織の原則からであった。

  志村ふくみ『色を奏でる』(ちくま文庫)66頁〜67頁


岡鹿之助と言えば、両大戦間のパリで活躍した日仏の優れた芸術家たちの青春と交流を活写した清岡卓行の記念碑的な大著『マロニエの花が言った』(新潮社、1999年、asin:4103431024asin:4103431032)の中で、藤田嗣治よりも、金子光晴よりも、実は最も深い共感を持って描かれていたのが、音楽を愛した画家の岡鹿之助(1898–1978)だった。去年の夏『マロニエの花が言った』を読み終わってすぐに、岡鹿之助の『フランスへの献花』(美術出版社、1982年)を読んだ。



フランスへの献花―岡鹿之助文集 (1982年)



ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(Un dimanche après-midi à l'Île de la Grande Jatte, 1884-86)


志村ふくみさんの引用は、『フランスへの献花』に収められたいわゆる新印象主義を創始したジョルジュ・スーラ(Georges Pierre Seurat, 1859–1891)に関する1956年の論考からである。その論考では、スーラがいかにして従来の印象派が依拠した色彩理論を科学的に徹底して、印象派がおそろかにした造形秩序(フォルム)を再生させたかという点に力点が置かれていた。その要にあたるのが、すでにドラクロワ(Eugène Delacroix, 1798–1863)が気づいていた「視覚混合」の効果ないし作用であった。岡鹿之助によれば、スーラが身辺から離さなかったシュヴェールの『色彩のコントラストの法則』や『補色の原理』などが、「視覚混合」を科学的に裏付けていることを知ったのだという。そして、スーラが「グランド・シャットの日曜日の午後」(1886年)で確立したと言われる「分割描法」(touche divisée)は印象派の科学的根拠のない、ただ点で描く「点描」とは明らかに区別されるべき性質のものであったと述べている(43頁)。



養殖アコヤガイ(三重県志摩市産)



北極の真珠母雲


ちなみに、緑と紫の併置から生じる「真珠母色」は、真珠母貝であるアコヤ貝の殻の内側に見られる「虹色」に由来するが、自然界では他には「真珠母雲」と呼ばれる成層圏に出来る特殊な雲にしか見られないようだ。


それにしても、織を竪琴の演奏に譬えることもある志村ふくみさんは真珠母色にどんな和音を聞いただろう、そしてあの共感覚の持ち主であったと伝えられるスクリャービン(Александр Николаевич Скрябин, 1872–1915)なら真珠母色にどんな和音を聞いただろう、と思わずにいられない。


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