太陽が見せてくれる気まぐれな光景というより「影」に過ぎないような世界に振り回されているような気がして、時々太陽に逆いたくなる。太陽そのものを見返してやりたくなる。でも、まともには見られない。目の前にかざした掌の指の隙間や縁からあの「光の狩人」のようなヨゼフ・スデクのように目を細めてチラっ、チラッと覗く。彼が撮影時だけでなく普段からまるでウィンクしているように左目が閉じ加減なのは、しょっちゅう太陽を見ようとしていたからではないかと思う。写真家としての彼は「プラハの詩人」とも呼ばれたが、「盲目の詩人」の一歩手前まで行った人だったと思う。バフチャルの例があるが、盲目になっても「見える」イメージに写真はどれだけ近づくことができるだろうか。私は盲目になることを怖れて、すぐにカメラにバトンタッチする。