Joe



現な像


写真家の杉本博司さんの『現な像』(新潮社、2008年)に、リチャード・セラ(Richard Serra, b.1939)の巨大な鉄の彫刻にまつわる話が出てくる。2007年の6月にジョナス・メカスMoMAで一般公開されたリチャード・セラの彫刻展を訪れて、セラと言葉を交わす場面や、メカスが錆びた鉄の表面を舐めるように撮った映像等を思い出していた。



Joe, 2000


杉本博司さんの話は、アメリカのミズーリ州セントルイスにある、安藤忠雄が設計したことでも知られるピューリッツァー美術館The Pulitzer Foundation for the Arts, opened in 2001)の狭い中庭を占領しているリチャード・セラの代表作の一つ、トルクスパイラルという巨大な鉄の彫刻をめぐるものである。それは美術館の発案者であるピューリッツァー氏の名前を取って「Joe」と命名された。


財団からの申し入れで、Joeを撮影することになった杉本博司さんは、Joeと対峙すること二日間、Joeが「一番美しく整って見える視角を探し続ける間に、視点は低く低く下がっていき、ついに地上三十センチほどにまで下がってしまった」。そのような、いわば「犬の視角」を発見して、なんとか撮り終え、三十八点の作品に仕上げた。それらはリチャード・セラご当人の快諾により写真集として出版されることになった。ただし、それには、杉本博司さんの注釈は一切ない代わりに、作家ジョナサン・サフラン・フォアJonathan Safran Foer, b.1977)が、杉本博司さんのJoeの写真に触発されて書いた短編(そのタイトルも「Joe」)が載ることになった。しかも、三十八点の図版に合わせて物語が展開していくという「絵本」のような体裁であるという。



Joe


興味深いのは、ジョナサン・サフラン・フォアは杉本博司さんの「犬の視角」の話はまったく知らなかったにもかかわらず、彼の物語には図らずも「犬」が登場することである。杉本博司さんは『現な像』の中で、その物語の印象的な一節を翻訳紹介している。

 主人公のジョーはある日飼い主のいない犬を見つけた。ジョーは犬に近づこうとするが、犬は逃げてしまう。その日からジョーは犬のビスケットをポケットに入れて散歩に出るようになった。ジョーは何度か犬に巡り合うが、犬をおびき寄せることはできなかった。そしてジョーは気がつく。犬の飼い主は唖であることに。犬は一度も「おすわり」や「おて」を聞いたことがないのだ。だからジョーの呼び声にもこたえないのだ。犬は一度も「イエス」や「ノー」を聞いたことがないのだ。だから「イエス」や「ノー」はなかった。犬は自分の名前を聞いたことがなかった。だから犬には名前がなかった。しかし飼い主の心のなかには犬の名前があった。しかしそれは飼い主にしかわからなかった。そしてそのことは犬もおなじだった。そこには無音の世界があった。たき火ははじけず、古い家はきしまず、波はしずかにくだけた。(杉本博司『現な像』新潮社、2008年、51頁〜52頁)


この一節に関して、杉本博司さんは「私が犬になっていた体験が再現されている」(52頁)と評している。なるほど、たしかに写真家と被写体とのあいだの動的な関係とそれが無言の写真に定着されるまでの過程が再現されているように読める。ただし、私の解釈では、主人公のジョーはあくまで写真家であり、犬は彫刻作品で、唖の飼い主とは彫刻家のことである。そしてこの場合の「名前」とは彫刻作品の究極的なイメージのことではないだろうか。さらに言えば、写真家とはそのようなイメージの束の間の「飼い主」のようなものではないか。