記憶の底割れ

掘り起こせなかった甘い歌を
いくつ抱え込んだところで生涯は閉じられるか

 山本博道『恋唄』(ワニ・プロダクション、1985年)より

いま、こうしてぼくの少年期に出会うとき
たまらないさびしさがあふれてくる

 山本博道『短かった少年の日の夏−−遠い風景』(思潮社、1998年)より


家族にまつわる記憶には踏み固められた地面のような底があると感じていた。山本博道の詩集を読みながら、そのような底が割れ始めるのを感じないわけにはいかなかった。三十八歳で子宮癌で死んだ母、九十歳をすぎて施設で眠るように死んだ祖父母、七十四歳で肺癌で死んだ父をめぐる記憶が揺らぎはじめた。あちこちに小さな暗い穴が開いて、その底の見えない深みから無性に懐かしいと同時にたまらなくさびしい子どもの唄が聞こえて来るような気がした。