見る稽古


独りになって、校舎6階の東向きの窓から見える景色をカラーで撮る。



二人一組になって、校舎6階の北向きの窓から見える景色を背景に相手の肖像をモノクロで撮る。


大学1年生向けの少人数の演習では、日本語を聞く・話す、読む・書くの基礎的な稽古をしつこく続けている。春学期は主に他人の話に耳を傾ける、個人的な経験をできるだけ客観的に話す稽古を中心に行なった。秋学期に入ってからは、それらに加えて、どんなジャンルの文章もきちんと読み解き、個人的な経験と気になる社会問題に関する意見を論理的に書く稽古を始めた。それらの稽古の間に、見る稽古を差し挟むことがある。見る稽古には、じっくり見るために、写真を撮らせる方法を使う。私のオンボロデジタルカメラを使って、基本的な操作法だけ教え、自由に撮らせる。当然のことながら、その自由が彼らに大きな戸惑いをもたらす。どこを、何を、どう撮っていいか分からない。全員が口を揃えて「ムズカシー」と言う。だが、彼らはその難しさを楽しんでいる。ああでもない、こうでもない、と試行錯誤する姿は生き生きとしている。そしてシャッターを押す瞬間の彼らの表情は真剣そのもので、何とも言えない。写真は一切加工せずに、私が印刷し、次回の授業で手渡す。お互いに写真を見せ合い、感想を述べ合う。私も各人の写真について寸評する(つもりが、実際にはいつも長い講釈になってしまうのだが、、)。写真を撮ることで、普段何気なく見ているものを改めてしっかりと見るようになるだけでなく、同じものを同じように見ていると思い込んでいた他人がいかに自分とは違ったものを見ているかを知ることにもなる。そして他人の視点を知ることによって、自分の見方にも幅ができる、等々。学生たちは、難しいけど面白い、と言う。私が一々説明しなくとも、彼らは写真を撮ることを通して、見ることについて、自ら、そしてお互いに学んでいる。それが大切だと思っている。傍からは、三上先生は学生たちと何だか楽しそうに遊んでいるだけに見えるかもしれないが、それでも一向に構わない。