時間のデザインの根源は人生という時間の捉え方にあり、それが空間のデザインをも根源的に左右するのだった。すなわち、空間を抽象的な器としてではなく、私たちが生きる具体的な場所としてとらえなくてはならない。つまり「生きられる場所」。それは、見方によっては、生命が誕生した海、海を育む森林と河川、母体の子宮内、生まれ育った家、自分の部屋、育った町、今生活している札幌市〜、北海道、日本(列島)、アジア、……、地球、……、宇宙でもある。
場所のデザインの典型は地図である。世界地図、日本地図、道路地図をはじめ、様々な種類のマップ、公共交通機関の路線図まで、私たちは学校の授業でも、日常生活においても、観光旅行に際しても、各種の地図を頼りに、知らず知らずのうちに、自分が生きている空間、場所の認識を多層的に形成してきたと言える。今いる大学構内においてさえ、そのキャンパス空間の認知には、各種マップを活用しているはずである。
そして今や地図はインターネット上である方向で急速に進化している。紙に印刷された地図からウェブページに表示される縮尺自在の地図、しかも各種情報と連動した地図がすでにサービスとして定着しつつある。Googleマップ、Google Earthについてはすでに紹介した。
その方向での地図の「進化」、つまり「情報化」の研究開発の動向に関しては、2006年11月24日に国立情報学研究所で行われた『PLACE+ 新世代ロケーションアウェア技術 サービスに関するワークショップ』に関する美崎薫さんのレポートを是非参照してほしい。
- 「PlaceEngineは「位置情報2.0」 - 位置情報とLifelogの可能性」http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/11/25/placeplus/
- 「フォークソノミー、マッシュアップ…研究とビジネスのコラボ始まるか? - PLACE+」http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/11/28/placeplus/
美崎さんによれば、
注目の発表は、既報のソニーコンピュータサイエンス研究所(CSL) インタラクションラボ室長の暦本純一氏らと、東京大学が共同で研究するノートPCやスマートフォンに搭載された無線LAN(Wi-Fi機器)で現在位置を記録できる「PlaceEngine」である。
PLACE+は、暦本氏と名古屋大学の河口信夫助教授が共同で主催したワークショップである。河口助教授も、同様の無線LANの技術を使った位置情報サイト「Locky.jp」を7月7日にスタート、11月24日にはLocky Toolkit(API)およびデータベースを公開している。
ソニー(=産)、名古屋大学(=学)共同というだけでなく、APIを公開し、エンドユーザーの参加でものごとを進めようという、Web2.0的なマッシュアップ&フォークソノミーの動きもある。こうした連携の背景には、「黒船」、Googleマップの存在がある。Googleがすべてを飲み込むのか。それともそれ以外の選択肢もある多様な世界が生まれるのか――
ワークショップには地図サイトや情報サイト関連会社など広い分野から参加があり、今後のコラボレーションがどうなるのか注目である。
このような地図の進化、既存の地図上での位置情報その他を生活、一生の体験の記録(ライフログ)に応用する情報技術の研究開発、サービス化の路線を見守ると同時に、より重要なことは、そこでの位置情報、生活の記録の「意味」を深く捉えることであると思う。つまり、生きられる場所において、本当に必要な情報と記録とは何なのかについて考えること。
考えるべき事柄は山ほどあるが、現在様々な局面で私たちが直面している場所、私たちが否応なく位置するのは「日本」である。日本という場所のデザインが瀕死の状態に陥っている。私たちが自分の溌剌とした自画像をなかなか描けないように、日本は日本の魅力的な自画像を描けずにいる。日本人である私たちは「日本」という場所のデザインをほったらかしにしてきた。自分たちが生きている場所と位置の生産的な位置、意味づけをし損ない、不本意に歪んだ自画像に甘んじてきた。そしてその歪んだ場所には多くの貴重なものを切り捨ててきた日本の浅はかなイメージ群が旗めいてもいる。
改めて、世界地図を眺めてみよう。日本列島はどう見えるだろうか。大陸から申し訳なさそうにぶら下がっている日本のか弱く周縁的な地理的なイメージは、歴史的にも諸大陸(大国)の引力や圧力の圏域のなかでしか位置(意味)づけされてこなかった。しかし、地理的にも歴史的にももっとずっと視野を拡げるなら、私たちが生きる大枠としての場所である日本のイメージ、自画像をもっとずっと瑞々しく開放的なものに描き直すことができる。それは私たち個人の自画像、自己認識、自己イメージにも根源的に影響する。私たちは自己イメージの不可欠で必須な一環として日本をデザインし直す必要がある。
実は、日本(列島)という地理的空間に対する私たちの常識を根源的に覆す新鮮な認識は、小説家(島尾敏雄ほか)や詩人(吉増剛造ほか)、民俗学者(柳田國男、折口信夫ほか)、人類学者(今福龍太ほか)によって獲得されてきた。そのことは一般にはあまり知られていないし、それがよもや「デザイン」に関係するとは思いもよらないかもしれない。しかし、大いに、しかも、深く関係する。そしてそれは私たちが何気なく使う「位置」や「人生の記録」の最も深い意味を規定さえする。つまり「日本」のイメージが変われば、位置や記録の必要も意味も変わるのである。
大陸のご機嫌を窺うことに汲々とする余り、背後を見失った日本は、振り返りさえすれば、大陸に追従するのではない、大海に開かれた豊かで新鮮なイメージを獲得することができる。今まで血栓や動脈硬化をおこしていた日本のイメージの中に新鮮な血液が勢いよく還流しはじめる。