記憶と未来

朝日新聞(夕刊)に毎月1回掲載される沢木耕太郎氏の映画評「銀の森へ」で今月は「長い散歩」(16日から東京・渋谷Q-AXシネマなどで公開)がとりあげられている(2006年12月4日)。そのなかで次のような言葉に出会い共感した。

子供を育てるということには、なにほどか自分の「いのち」を分け与えるというところがある。親からそうした「いのち」を分け与えられた記憶がないとき、自分の子供を「損なう」ということが起こるようにも思われる。果たして、天使の羽を背負った幼女は、老人から「いのち」を分け与えられた淡い記憶を、未来の自分の子供につないでいくことができるだろうか。映画が終わったころから、そんなことが気になったりもした。

不幸は代々連鎖し、幸福も代々連鎖する。今日本では多くの場所で不幸が代々連鎖しているような気がする。どうすれば、その連鎖を断ち切り、「いのち」の分与の連繋を回復することができるか。

(追記)
これを書きながら、bookscannerさんの記事「子に届いたブッシュさんからの手紙」http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/20061205/p1を遠く思い浮かべていた。いろいろと言い出す人もいるだろうが、一国のリーダーがその国に生まれてきた子に歓迎と祝福のメッセージをとどける仕組みの背景を想像すると、あちらとこちらの落差にいまさらながら暗澹とする。