青空から限りなく遠い「青空」という言葉

自然の造形を注視するようになってから、人間が意図的に作るものの浅はかさ、底の浅さが目につきすぎて、困ったもんだと思っている。数年や数十年の人間個人の努力とは桁違いの数千年とか数万年、いやもっと長きにわたる「進化」の成果を目の当たりにしていると、そもそも敵うわけがない、と観念してしまう。

そこで、例えば音楽でいうと、アントニオ・カルロス・ジョビンがボサノバについて語った言葉が想起される。ボサノバは限りなく海の波の音に近い音楽なんだ、と。自然が奏でる音楽に限りなく近づこうとして作られた究極の音楽なんだ、と。

自然が造形する色と形の妙技に限りなく近づこうとした芸術には何があるだろうか。あるいは、自然の実在に接近しようとした言葉の技には何があるだろうかと考えていた。ル・クレジオのエセーやアルフォンソ・リンギスのトラベローグはそれに近いかもしれないと思い当たった。植物や青空や雲の実在に触れるような言葉。実在との距離そのものを深く自覚した言葉の使い方。言霊、言の葉?

ジョナス・メカスは独特の映像によって、人間的な、余りに人間的な映画や芸術の浅はかさを静かに告発しているのかもしれない、と思った。