私のソングライン


米田夫妻。「お出かけですか?」「ああ。寒いねえ」「はい、明日はもっと寒いそうですよ」「そうかい」



建設現場。これから足場が組まれる。



ハナ。「天使の輪」。



保育園



日向でまどろむ猫



アイスキャンドルの後始末に使われたハンマーとバケツ。アイスキャンドル祭は昨夜で終わった。役目を終えたアイスキャンドルはハンマーでたたき割られ、こなごなになり、そのうち雪に混じり、跡形もなくなる。



サフラン公園入口付近でアイスキャンドルの後片付けをするご婦人方。「ご苦労様でーす!」「おはようございまーす」



サフラン公園の雪だるま2号。ビフォー。



アフター。私のスノーマンフィスティバルは終わらない。


***


昨夜帰宅途中に車窓を流れるアイスキャンドルの光の列を撮った。

アイスキャンドル祭は昨日が最終日だった。そういえば、昨日朝の散歩では、割れたアイスキャンドルが目についた。サフラン公園入口に作られたアイスキャンドル祭のシンボル像である大きな雪だるま「一太郎」の頭も落っこちていた。ちょうど行き合わせた人は憮然とした表情で、「壊す奴がいるんだ。第二、第三町内会ではかなりやられたらしい。困ったもんだ」と語り、やり場のない憤りを発散していた。その人は通学途中の子供たちの一部が犯人だと睨んでいた。「そうですか、、」 以前から雪だるま1号や2号の度重なる破壊に抗してシシュポスの神話のごとき修復に勤しんできた私は驚かなかった。予想範囲内の出来事だった。むしろ予想通りで拍子抜けしたほどだった。私が毎朝そうしているように、本当に大切なものなら、鼻歌でも歌いながら、また作ればいい。破壊衝動にかられた行動の浅はかさを包み込む創造の懐を示し続けるしかない。なぜ破壊されるのか? 理由は簡単だ。残念なことに破壊を誘発する環境を日々大人たちが準備してきたからだ。大人たちが安全と管理の名の下にそうとは気づかずに破壊の模範を次々と示してきたからだ。たとえば、街路樹や公園の樹々は、過度を通り越した剪定によって、無残な姿を晒している。野鳥も見かけなくなった。町の殺伐たる光景のどこに生命の尊重や自由や創造の契機が感じられるだろうか。ちなみに、私は第四町内会に属するが、ほとんどその自覚はなく、いつも越境して私なりの「ソングライン」を描こうとして散歩している。この土地のどこに何があり、いつどこでどんな花が咲き、どんな実がなり、どんな風に枯れて行くか、どこにいつどんな野鳥が飛来し、カラスや雀はどこをねぐらにしているか、、。それにしても、破壊工作員は子供たちとは限らないとも思う。大人たちも破壊衝動に無縁ではない。昼間は善良で正義漢ぶった人たちだって、虫の居所が悪けりゃ、あるいは酔っぱらって、雪だるまやアイスキャンドルなんか蹴飛ばして壊してしまうかもしれない。偉そうなこと書いているこの俺だって。