眼の奥のフィルム:写真家楮佐古晶章の場合

人間の「表情」は複雑で雄弁だ。そこに全てが現れると言っても過言ではないかもしれない。


サンパウロ在住の写真家楮佐古(かじさこ)さんがアウグスタ通りで一人の路上生活者らしき黒人のおじさんの異様な表情に遭遇した時のことを書いた日記が非常に面白かった。

アウグスタ通りの男(「南米漂流」)


楮佐古さんはその男の「精神がどこかに行っているよう」な「異様な」表情に強く惹かれ、写真を撮ろうとしたが、彼の自慰行為に気づき唖然として、撮り損なった。藤原新也が若い頃にインドで非常によく似た体験をしたことを記していたのを思い出した。『印度放浪』だったか。しかし、楮佐古さんは、その男の表情を「抜けたような表情」、「呆けた表情」として再認識した上で、公衆の面前でそのような行為に及び、そのような表情を晒す男の内面あるいは過去に想像力を働かせる。

こんな場所で、それも公衆の目前でマスターベションするなんて、普通の頭では考えられない。気が触れてしまっているのだろう。何かで頭がぼけても性の部分の感覚は鋭利に残っているという文を何かで読んだような覚えがある。本能のみが残り快感を追求していく姿を見て悲しくなった。どうして彼はそこまで追い込まれてしまったのだろう。


楮佐古さんはそれ以上は踏み込まない。ところが、最後にその男の現在をわれわれの生きる世界の中に映像的、絵画的にしっかりと刻みつけるような言葉を記す。

 夕方、大雨になりアウグスタ通りの坂道は川のようになってしまった。あのおじさんの精液もきれいさっぱり流されたことだろう。今も彼は呆けた顔をしてどこかで液体をドクドクと吐き出し続けているかもしれない。  


写真家楮佐古晶章の眼の奥のフィルムに焼き付けられたネガを見せられたような気がした。