運ぶべきものではない石


荷馬車、大連にて。


生まれてはじめて大陸に渡り、北から南へ、そして南から北へと、中国の三都市、大連、広州、天津を巡った。できれば田舎に行って、現役の天秤棒が見たかったが、叶わなかった。中国に発つ前に読んだ水上勉(1919–2004)の天秤棒の話(『立往生のすすめ』倫書房、1996年、asin:4947711000)が、慌ただしい移動のなかで、心の道連れになってくれた。

 それで前に話しました六祖慧能(ろくそえのう)さんの「本来無一物」ということばの出所がしらべたくてその人の故郷へ、広東省の広州に近い中国の南の端の田舎町へ、広州から六時間ほど自動車に揺られていってきました。それで山のなかに入ったときに見たことを話しましたが、山へ重たいものを運んで坂を登るのに、今は若狭あたりでは原発を頂戴してどの農家も軽トラック二台ぐらいございますけれど、中国はまだ遅れた市場経済の出発したばかりでございますので、農村に軽トラは少なく、ものを運ぶのは、昔の天秤棒でございました。天秤はご存じのとおり、滋賀県八日市近江商人がひじょうに愛着したもので、腰を振らないと中央がとれないということを前に話しました。
 それは運ぶべき荷物が重たけりゃ重たいほど、その反対の籠に石か水をのっけてつりあいというものをとらないと天秤はかつげない。前にものを付け足すと後の重たい荷が軽うなる。天秤を担うてみると、これはわかるんですよ。運ぶべきものではない石を必要とするのがこの人生だと。
 私はそういうことを、六祖慧能さんの故郷の山へ登るひとりの四十四、五ぐらいかなあ、失礼になるので、顔はよく見ませんでしたけど、後ろからついていって、その女性が何とも哀しいほど上手に腰を振って先をゆくのを見たのです。
 それを見ておりまして、八十二で死んだ母のことを思いだしましたのと同時に、ああ、空海さんや伝教大師さんが、この国へ来て勉強して帰られて日本に仏教というものが伝わりました。あの頃の空海さんもごらんになった風景だろうと思ったのです。
 昔の高僧たちは軽トラの時代ではなかったから天秤棒でものをはこぶ人をぎょうさん見て帰らはったに違いないというのが私の考えでございました。きょうでも天秤を見てもどってきたのですから昔の人もそうだったのだろうと思うたのです。本をよむと何と、天台真言では中庸という精神を尊んでおられます。まん中をとればいいのだと申されます。空海さんと伝教大師さんの持ち帰られた仏教思想ですね。
 それをまん中探しだったかと思えば、天秤かつぎも馬鹿にならない。なるほど、人生七十七歳で心筋梗塞になるのも考えようによっては石をもろうたようなものです。私の人生の荷も少しは軽うなったと思います。それが生命の正体です、私が執着する命です。(162頁〜164頁)


「運ぶべきものではない石」は人それぞれに違うだろうが、とにかくそれを必要とするのがこの人生だという。そして「運ぶべき荷物」と「運ぶべきものではない石」との間の「まん中」を探して担ぎ歩く。そんな「中庸の精神」が腑に落ちた。中国の都会では天秤棒こそ見なかったが、あちらこちらでリヤカーが仕事の道具として活躍しているのを見て、人間が歩く速度、せいぜい自転車を漕ぐ速度とリズムが労働のなかに生きていることが感じられて嬉しくなった。大連ではなんと市街地の大通りを悠然とゆく荷馬車を見かけた。自動車の速度で進むせわしない機械的近代的世界にまるで異質な動物的前近代的時間が流れ出した気がしてわくわくした。そして天秤棒を担いで歩く速度の遅さとその時間の深さを思った。と同時に、時代なんて錯誤すべきものでしかないという変な考えが浮んだ。


参照


天秤秤と天秤棒人生(中国桂林周辺の旅、「道ばたの景色」2009年11月22日)