結界を歩く


砥山橋から豊平川上流を望む。好きな景色だ。


豊平川沿いのその辺り一帯は簾舞(みすまい)と呼ばれる。「峡谷にある川」を意味するアイヌ語の地名「ニセイ・オマップ」が「ミソマップ」と訛り、明治五年(1872)に「簾舞」の漢字が当てられたという。



自宅から西や南の方角に車で15分ほども走ると「熊出没注意」の看板にであうような土地に住んでいることを普段は忘れている。その看板があるあたりは一種の結界をなしている。「熊出没注意」の看板は、そこから先は何が起こるか分からない獣たちの聖なる世界であることを告げている。お前たちが大きな顔をしていられる俗界はここまでだ、と。そんな辺りには当然の事ながら古い神社や祠や地蔵がある。祠が破壊されていることもある。






山道を歩いていて遭遇した延命地蔵。一瞬、ざわっとする。「延命地蔵』? とにかく頭を垂れ眼を瞑り手を合わせる。いい顔してるな。

延命地蔵

下砥山、砥山橋から200メートルほど北東側の小祠内にある地蔵。
旧簾舞発電所水路で水難した8人の慰霊のため、上砥山の上村家が昭和39年(1964年)に建立。




 札幌市南区の碑ホームページ - 簾舞地区


「旧簾舞発電所水路で水難」の詳しいことは分からない。地元の郷土資料館に行ってみれば、何か分かるかもしれないな、、。


以下は旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)にて



わっ!



おお!



おおお!



、、。


馬や牛や蒸気機関車や和服のご婦人方が風景の中に溶け込んでいた時代はそんなに遠くない。



明治40年



明治40年



大正10年。



昭和初め頃。精悍な犬だ。樺太犬か。



昭和24年。


このあたりには馬頭観音や牛馬頭観音が多い。熊頭観音は存在しない。「旧簾舞発電所水路で水難」の詳細は不明。


参照