赤い鬼灯を言葉の代わりに

来た道をふと振り返ると、四、五十メートル後ろから見覚えのあるカップルがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。K夫妻だ。踵を返して来た道を戻り始めると、私に気づいた夫人が笑顔で手を振ってよこした。私も手を振り返した。やや俯き加減のご主人の表情は判らない。「お久しぶりです」「寒くなりましたね」「そうですね」「私、補聴器を外しているもんだから、聴こえないの」と声を張り上げながら夫人は左手を左の耳に当てる仕草をした。私は大きく二度三度頷いた。そして、なぜか思わず、もし顔見知りの幼ない子に会ったらあげようと思ってポケットに忍ばせていた赤い鬼灯(ホオズキ)の実を、これどうぞ、と言って差し出した。すると夫人は躊躇せずにそれを左手で受け取り、いつもありがとう、と言った。ご主人は尖閣諸島の問題が私の仕事に悪影響を及ぼしたのではないかと心配してくれたが、私が微塵もそういう心配をしていないことを知って笑った。私はなぜあの鬼灯を夫人に手渡したのだろう? 言葉の代わり? でも、どんな言葉? よく分からない。あの真っ赤な鬼灯はお二人の写真の傍に置かれているだろうか。