野葡萄(えびづる)?


私の知るノブドウ(野葡萄, Porcelain berry, Ampelopsis glandulosa var. heterophylla)。食不適、薬効

上総国武射郡殿台村(かずさのくにむしゃぐんとのだいむら。現千葉県山武市殿台)の農家の四男で末子(ばっし)の伊藤左千夫は、幼時から山野の植物に親しんだ。彼の短歌や小説に生気を与え厚みをもたらしているのが彼の身体的なまでの植物との親和感だ。自伝的小説『野菊の墓』には野菊や竜胆(りんどう)のような花だけではなく、通草(あけび)や「野葡萄(えびづる)」のような野生の木の実も登場する。

 高橋睦郎「通草」、『季をひろう』(朝日新聞2012年10月13日)より


明治39(1906)年に発表された『野菊の墓』では民子が「野葡萄(えびづる)」を食べつづける場面がある。現在の名称では、同じブドウ科でも野葡萄は食べられないし、分類の上では野葡萄と海老蔓は別種扱いだから、変だなと思っていた。それだけでなく、以前から、そもそも「野葡萄」という名前にかすかなひっかかりを覚えていた。


高橋睦郎もひっかかったとみえて、翌週には次のように慎重に指摘している。

 左千夫は野葡萄の漢字にえびづるとルビを振っているが、現行の歳時記では野葡萄は別名ヘビブドウと言って食べられず、食べられるのは山葡萄という。それとは別に蘡薁の漢字にエビヅルのルビを振り、これも食べられるとする。
 野葡萄にエビヅルのルビを振ったのは左千夫の誤りか。江戸時代の書物のうち、『大和本草』は蘡薁を野葡萄と言い、『改正月令博物筌』は同じものを山葡萄と言っている。要するに山野に自生するエビヅル=エビカズラを、生える場所によりヤマブドウと呼んだり、ノブドウと呼んだりしていたのが、明治時代に欧米から植物学が入ってきて、現在のような区別が生じたのだろう。

 高橋睦郎「えびづる」、『季をひろう』(朝日新聞2012年10月20日)より


なるほど。野葡萄にエビヅルのルビを振ったのは左千夫の誤りとは言えないわけだ。そして、たしかに現行の樹木図鑑では、ブドウ科の落葉蔓性木本として山葡萄、海老蔓、三角蔓、野葡萄などが区別されて並置されている。しかし、なぜ野葡萄に「野葡萄」という名前が割り振られたのかは依然として不明である。


ところで、『野菊の墓』にはごく身近で親しい存在として以下に列挙する植物がさりげなく登場する。しかも、「桐の葉に包んで置いた竜胆の花」(新潮文庫版、33頁)のような表現がすうっと現れてハッとする。高橋睦郎が言うように「彼の身体的なまでの植物との親和感」が伝わって来るような気がする。

  • 椎(しい)
  • 茄子(なす)
  • 茨(いばら)
  • 薄(すすき)
  • 銀杏(いちょう)
  • 棉(わた)
  • タウコギ(田五加木)
  • 水蕎麦蓼(みずそばたで)
  • 都草(みやこぐさ)
  • 野菊(のぎく)
  • 紫苑(しおん)
  • 桐(きり)
  • 黍(きび)
  • 松(まつ)
  • 笹(ささ)
  • えびづる(蝦蔓)
  • あけび(通草、木通)
  • 野葡萄(えびづる)
  • 竜胆(りんどう)
  • 春蘭(しゅんらん)
  • アックリ(春蘭の俗称、皸の薬にする)
  • 尾花(おばな、薄の別名)
  • 蕎麦(そば)
  • 小田巻草(おだまきそう)
  • 千日草(せんにちそう)
  • 天竺牡丹(てんじくぼたん、ダリアの別名)
  • 柿(かき)
  • 桃(もも)
  • 梨(なし)
  • 冬青(もちのき)