文学

イギリスの窓から

イギリス「窓」事典―文学にみる窓文化 英文学に登場する多種多様な「窓」の邦訳困難(ほとんど不可能)な事情の一端に触れた。英文学者の三谷康之氏によれば、「そもそも風土や習慣の違いから我が国には存在しないものは、たとえ幾千語の文字で解説を試みた…

野葡萄(えびづる)?

私の知るノブドウ(野葡萄, Porcelain berry, Ampelopsis glandulosa var. heterophylla)。食不適、薬効。 上総国武射郡殿台村(かずさのくにむしゃぐんとのだいむら。現千葉県山武市殿台)の農家の四男で末子(ばっし)の伊藤左千夫は、幼時から山野の植物…

「花を奉る 石牟礼道子の世界」を見て

一昨日の夜、NHKの特集番組「花を奉る 石牟礼道子の世界」を見た。昭和2(1927)年3月11日生まれの石牟礼道子さんは、昨年の東日本大震災の当日84歳を迎え、今年で85歳になる。原発問題にも通底する水俣病問題の解明に全身全霊を捧げ続けてこられた石牟礼道…

風船

百鬼園随筆 (新潮文庫)、カバー装画は芥川龍之介「百閒先生邂逅百閒先生図」 内田百閒は言葉という糸で、風船のように逃げてしまいそうな世界をつなぎとめようとした。例えば、目の見えない菊山さんが感じている世界を。 百鬼園氏が盲目の菊山さんの手をひい…

India Songの消息

asin:4879957038 1973年に出版されたマルグリット・デュラスの著作La Femme du Gange(亀井薫訳『ガンジスの女』書肆山田、2007年)の冒頭に出てくる歌「『ブルー・ムーン』。1931年のブルース」が、その前年1972年に公開された(日本では2009年にようやく初…

冥途の道連れ

asin:4003112717、asin:4480083510 私は長い遍路の旅をして来た。毎日毎日、磯を伝ったり、峠を越えたりしたけれども、何時(いつ)まで行っても道は尽きなかった。(内田百閒『冥途』) 内田百閒(1889–1971)は、死以外のどんな絆も予め奪われた「私」に旅…

Woolgathering

ジャケット画はジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet, 1814–1875)「羊飼いの少女」(Shepherdess with her Flock, 1863)部分、著者近影は姉のリンダ・スミス・ビアヌッチ(Linda Smith Bianucci)、asin:0811219445 パティ・スミス(Patricia…

India Song

ひと月ほど前に、マルグリット・デュラスの著作『ガンジスの女』(La Femme du Gange, 1973)の冒頭の場面をとりあげた。「遠くから女の声で、非常に小さく口ずさまれる歌。『ブルー・ムーン』。一九三一年のブルース」(亀井薫訳)が聞こえてくる場面である…

割り切れない夢

asin:4861820243 ミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade, 1907–1986)の短編小説「若さなき若さ」(原題 Tinerețe fără de tinerețe, 1976)はアルツハイマーと診断されたことを苦に自殺を決意した老言語学者が見た夢と現(うつつ)の境界が曖昧な物語である…

ガンジスの女の青い月

asin:4879957038 マルグリット・デュラスの『ガンジスの女』(La Femme du Gange, 1973)の冒頭で女が歌う「ブルー・ムーン」が聞こえてくる場面は素晴らしい。 旅人だ。 広場を横切る。 横切られた広場。 旅人は川に沿っていく。なにも見ていない。歩む。進…

マルグリット・デュラスの塩漬けキャベツ

asin:4560042659、装幀は北園克衛(きたぞの かつえ, 1902–1978)。 マルグリット・デュラス(Marguerite Duras, 1914–1996)の初期の短編小説「木立の中の日々」(Des journées entières dans les arbres, 1954)で印象的なのは何よりも「塩漬けキャベツ」…

島尾敏雄と相馬焼

asin:4309018769 島尾敏雄は相馬焼の湯呑みを愛用していたという。私の祖父も、あの大きな二重の作りの湯呑みを愛用していたことを思い出した。幼かった私はその側面に穿たれた穴に得体の知れぬ怖さを覚えた。 おとうさんの故郷は福島県相馬郡小高町で、江戸…

いつもすでになつかしい

天野忠(1909–1993)の遺稿短編集『草のそよぎ』(編集工房ノア、1996年)に「なつかしいもの」と題した「ある老人同士の対話」篇が収められている。 −−ある老人同士の対話。 A 私ぐらいのとしになると、生きていること自体が、なつかしうて、なつかしうて…

仮初めの住み処、懐かしい人生

asin:4062136961 清岡卓行は八十三歳の死の年に自分の記憶のなかの断片の情景について次のように書いた。 長い場合には数十年、短い場合でも数年、私の記憶のなかに断片のままぽつんと孤立をつづけ、ほんのときたま、まったく不意に意識の表面に、それもなぜ…

Impressions d'Afrique

asin:4582766137 レーモン・ルーセル『アフリカの印象』は恐ろしいほど静かな印象だったが、後半に意味深長な寓話と言ってもいい、ある詩的な挿話が語られていて興味深かった。 ソローは、ギリシアでは、アテネ滞在中、自由時間を利用して、ガイドと一緒に町…

花:ジュネの想像力

自然界の最も甘美な感受性の形式−−花−− 朝吹三吉訳、ジャン・ジュネ著『泥棒日記』新潮文庫、6頁

実在しない猹(チャー)

魯迅の「故郷」で一番印象的なのは、二十何年ぶりで帰郷した「私」が、母の一言によって稲妻の閃くごとくに蘇った子供時代の記憶のなかに「美しい故郷」のイメージを見出す場面である。そこに「猹(チャー)」が出てくる。 その時、私の頭の中にはたちまち、…

占領下と獄中:ジャン・コクトーとジャン・ジュネ

ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集 アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集成 占領下日記 1942‐1945〈1〉、占領下日記 1942‐1945〈2〉、占領下日記 1942‐1945〈3〉、花のノートルダム (光文社古典新訳文庫) 1943年2月16日火曜日 ジ…

DURASIA(=DURAS+ASIA)

鈴木清『デュラスの領土 DURASIA』、愛人 ラマン (河出文庫) …インドシナからインドのカルカッタにまたがるデュラス独特の地理学、現実の地図にかならずしも対応しない、異様にねじれた空間を形成する地理学…批評家クロード・ロワの命名するところの《デュラ…

孤児の空想

途中、ところどころの村の入口に立札があった。 −−物乞い旅芸人は入るべからず。 「伊豆の踊子」より(新潮文庫、38頁) 「旅芸人のいた風景」(沖浦和光)の記録として川端康成の「伊豆の踊子」を読み直したのがきっかけとなって、「抒情歌」「禽獣」などの…

川端康成のキクイタダキの観察と記述

川端康成(1899年–1972年)が34歳の時に発表した『禽獣』(1933年)は壊れやすい生命が壊れてゆくのをじっと観察する異様なほど冷たい目を感じさせる作品である。その目は鳥や犬ばかりでなく、女(千花子)にまで向けられる。その精緻で残酷な描写を読みなが…

香しくも毒々しい物語

川端康成(1899年–1972年)が33歳の時に発表した『抒情歌』(1932年)は、恋人に振り捨てられた女が、彼の死後に、彼に不可能な愛をかたりかけるという香しくも毒々しい物語である。その冒頭と末尾からの引用。 死人にものいいかけるとは、なんという悲しい…

チェーホフはドイツ語で死んだ

チェーホフとオリガ チェーホフとトルストイ アントン・チェーホフは1860年1月29日ロシア南部のタガンログに生まれ、医師および作家として生き、1904年7月15日にドイツのバーデンワイラーで結核で死んだ。享年44歳。最期の言葉は、ほとんど知らなかったはず…

魯迅の情動

酒楼にて/非攻 (光文社古典新訳文庫)作者: 魯迅,藤井省三出版社/メーカー: 光文社発売日: 2010/10/13メディア: 文庫 クリック: 7回この商品を含むブログ (7件) を見る 魯迅の「酒楼にて」の冒頭近くに、真冬の雪の中で濃い緑の葉を茂らせ赤い花を咲かせる椿…

白いお米の記憶に故郷が

ソウル―ベルリン 玉突き書簡―境界線上の対話作者: 徐京植,多和田葉子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/16メディア: 単行本 クリック: 4回この商品を含むブログ (11件) を見る 生い立ちが違えば、同じ言葉に背負わされた意味も違ってくる。例えば、…

「蛍川」に登場する盲女

螢川・泥の河 (新潮文庫) 富山を舞台にした宮本輝の小説「蛍川」(1977)には、千代の追想の中で、越前(福井)に旅した重竜と千代の前に三味線を弾く盲目の女が登場する場面がある。その女は「盲目で、両目は白く濁っていたが、越前の瞽女と呼ばれる人とは…

舟の家/廓舟(くるわぶね)

螢川・泥の河 (新潮文庫) 宮本輝の小説「泥の河」(1977年)に舟の家に暮らす家族が登場する。昭和30年代の民俗、風俗、特に家船(えぶね)への関心から久しぶりに読み返した。読んでいるうちに小説の力、あるいは物語る視点が気になり出して、民俗、風俗的…

断片

さまざまな空間 こんな場所があればいいのに。揺るぎなく安定して、触ろうにも触れない。ほとんど神聖不可侵な、どっしりと根をおろした場所。目印となり、出発点となり、起源ともなるような場所が。(中略) そんな場所は存在しない。存在しないからこそ、…

visionarさんの螺旋歌に寄せて

深き淵よりの嘆息(visionar 2010.05.05 Wed) 螺旋歌って、上昇するイメージでとらえていたけど、やっぱり落下だよなあ、と思いました。墜落、失墜、、。でもただ落ちたり、落としたりするのではなくて、自分や自分の何かが、落ち葉のように、せめてくるく…

悲しみを聴く石

asin:456009005X 『灰と土』(asin:4900997080)につづいて、詩人関口涼子さんの邦訳でアフガニスタン出身の亡命作家アティーク・ラヒーミーの『悲しみを聴く石』を読んだ。静謐な佇まいの本だ。昨年(2009年10月)、白水社の「エクス・リブリス(Ex Libris…