銃の代わりにカメラを持った写真家


京都猫町ブルース

 4歳まで歩けず喋れずの状態がつづき美猫リリィに見守られながら、鶏小屋のなかにチャボと鶉とともに放り込まれて過ごした。
 歩けるようになると、将来、馬車曳きになると得意げだったが、母は土壁踏みにでもなればいいと言った。4Hクラブに野菜を運ばされ、小学校の登下校時にも魚の粗をもらって帰るために、両手はいつもバケツでふさがった。おけげで、中3まで小1のランドセルを背負って通学。家では鶏糞を干したりしまったり、鶏にエサと水をやる日課はつづいた。山羊乳も搾り、宅配した。気がつけば、犬をつれ、空気銃を片手にするちょっとした悪童だった。鶏をねらうイタチ、フクロウ、猫を追っ払うためだ。11歳で、銃の代わりにカメラをもつ。

 『京都猫町ブルース』「あとがき」より


生計のためとはいえ、猫を銃で撃ち殺した体験は一種のトラウマとなり、その心の傷を埋めるには長い時間が必要だったと甲斐扶佐義(かい・ふさよし、1949年生まれ)は近年のインタビューで語っている。猫を見かけるたびに、銃で撃ち殺したときの光景と感覚が蘇ったのではないだろうか。甲斐扶佐義の猫の写真には、たんに可愛い猫が写っているのではなく、血なまぐさい記憶の暗がりが張り付いているように感じる。