英語

英語で日本語を考える 英語で日本語を考える 単語篇
作家の片岡義男さんによる『英語で日本語を考える』(2000)、『英語で日本語を考える 単語篇』(2004)の二冊は非常に真っ当で本質的であるがゆえに、画期的な英語習得入門書であると私は思う。前者はハウツー物が嫌いな私が渡米する前に「こんなハウツーがあったのか」と目から鱗で何度も読んだ唯一の英語(と日本語)に関する本だった。後者は渡米直前の2004年3月に発行されたのだが、そのことを知らずに私は渡米して、英語で苦労した。帰国後に後者を購入し、再び目から鱗を落としながら読んだ。

英語ができない理由はじつに簡単に説明がつく。英語を知らないからだ。知らないものはできようがないではないか。ではなぜ、知らないのか。この理由も簡単だ。十分に知るための努力、つまり勉強を、しなかったからだ。なぜ勉強をせずにきたかに関しても、現実的な理由はひとつあるだけだ。自分はどうしても英語を知らなければならない、と自分を決意させるに足る切実な状況が、なにひとつないからだ。(「まえがき」p.1)

といきなりズバリと本質を突いた指摘から始まる本書は、大人になってから「切実な状況」をもつようになったものの、努力、勉強に踏み切れない人を、粘り強く説得しながら、お手軽な方法や王道などはありえない、英語習得にいたる唯一の正しい道へと案内する。

一語のなかにすでにある英語らしさから始まって、数語による言いかたが持つ英語らしさまでを、二百数十例でひと息に観察し、英語らしさとの遭遇のいちばん最初のかたちを手にしてみるのが、この本の目的だ、遊びにも似た勉強のしかただが、それは学習者にとっての特権だと思えば、さらに楽しくなるはずだ。(同 p.6)

英語という外国語を使って、自分の考えていることを相手に伝えようとするとき、もっとも有効な方法は、英語らしさという基本に忠実に沿った言い方の採択以外にあり得ない。あまりにも日本語に引きずられた英語、あまりにも正しくなかったり、あまりにわかりにくかったりする英語は、相手になにごとかを伝えようとする自分の能力や努力を、いつまでも妨害しつづける。この妨害を可能なかぎり少なくする方法を考えていくと、正しい英語という英語らしさを自分の方法とする以外に、方法はなにひとつないという結論にいきつく。(同 p.7)

ところで、片岡さんは翻訳者、エッセイスト、評論家といった顔も持っているが、私が特に注目しているのは『影の外に出る ~日本、アメリカ、戦後の分岐点 』(2004/05/NHK出版) 、『自分と自分以外―戦後60年と今 』(2004/07NHK出版)に見られるアメリカとの複雑な関係における日本、日本人の「自己」の立ち上げ方についての新鮮な思考である。
影の外に出る  ~日本、アメリカ、戦後の分岐点 自分と自分以外―戦後60年と今 (NHKブックス)
これは文脈と層は異なるが、近刊の今福龍太×吉増剛造アーキペラゴ 群島としての世界へ』(2006/06/29岩波書店)に収められた刺激的な諸対話が収斂していく大きな問題(p.59)にもリンクしている。
アーキペラゴ―群島としての世界へ