カリブを駆って竜がやってきた

一昨日の昼休みに卒業生の竜が訪ねてきた。会うのは二年以上ぶりだった。私がアメリカに発つとき、彼は卒業した。音信はほとんどなかったが、忘れた頃にやってくるメールからは元気にやっている様子が窺えた。懐かしいやら嬉しいやらで、午後からの専門演習2は竜を交えてA君との特別演習になった。面白かった。

主にドキュメンタリー系の映像制作に関心の深い竜は札大卒業後、北大の新制大学院、国際広報メディア研究科に進学し勉学を続けるかたわら、複数のテレビ局の番組制作にも参加して、すでにかなり濃密な現場体験を積み重ねてきた。現在は学業のかたわら、複数のロケ・コーディネーション会社と個人契約して番組、CM、音楽ビデオ、映画等の制作の仕事もやっている。企画段階から各種交渉、脚本執筆、ロケハン、撮影、演出、編集と貴重な体験を休みなく積みつづけている偉い奴だ。将来的にはディレクター的な仕事に就きたいらしい。彼が土産代わりに持参してくれた過去に彼が制作したビデオ3本を現役のゼミ生A君と一緒に三人で観ながら、竜の体験談を私があれこれと聞き出し、A君に感想を求めたりしながら三上ゼミは始まった。

私が竜から一番聞きたかったことで、聞いて納得がいき、非常に面白かったのは、彼の現在にいたる半ば偶然の奇跡的にも感じられる人生の展開を支えてきたものは何かということだった。

彼は札大卒業直後はなかば途方に暮れていた。進学希望の大学院の入試に一度は落ちたからである。しかし、アルバイト先の居酒屋に来ていた一人のお客さんとの出会いがきっかけになり、テレビ局の番組製作現場に出入りしはじめ、番組制作にも関わるようになった。そこからさらに多くの人との出会いに恵まれ、そして現在に至る道が開けていったのだった。そういう出会いを逃さない秘訣はなにか。もちろん、興味のある映像製作の知識や技術や経験を学生時代にある程度身につけていたということもあるのだが、それ以上に、HASHIさんの「Life is Timing.」よろしく、竜もまた、ある時期から己をさらけ出して他人を分け隔てなく受け入れることを心がけるようになっていたことが非常に大きかったのだった。もちろん、大変な失敗をやらかしたこともあっという。しかしそれをも自分の糧にして乗り越えたきたのは、失敗は失敗として謙虚に認め、相手があることだから、相手の気持ちが澄むまで、土下座して涙して誤ることも辞さない心意気があったからだった。教え子(とはとても言えないのだが、一応)からそんな話が聞けるのはこの上なく嬉しい。

話題の尽きない活きのいい会話がまだこれからというとき、ゼミ終了のチャイムがなり、A君は名残惜しそうに研究室を後にし、修行先のお店へ向かった。その後はもちろん、私は私でアメリカ体験、奄美大島体験、東京でのHASHI展と「記憶する住宅」体験、そしていうまでもなくブログの醍醐味と効用について、休みなく次々と語った。彼の目が何度も輝いたのも嬉しかった。

竜は在学中、三上ゼミの2年半の間に数本映画を作った。他のゼミ生の先頭にたって、脚本から、ロケハン、監督、演出、撮影、編集をこなし、集団で一つ事に当たる難しさと何かを達成したときの喜びを彼は在学中から体験していたのだった。私は何を教えたというわけではなく、大きな活動の枠組みだけ用意して、後は彼らの動きを見守り、彼らの人事的、技術的相談にその都度応じ、目に余る状態の時だけ介入したにすぎなかった。彼は当時から好奇心旺盛で、外国語にも関心が強く、英語はよくできたが、フランス語の家庭教師にもついて勉強を続けていた。また当時一部で流行していた東浩紀さんの著作などを題材にして、スーパーフラット、データベース的主体などなど、哲学的な議論もよくしたことを思い出す。あのころの勉強は今も役に立っていると語っていた。

竜は今の状況を心底楽しんでいる。体力的には限界を超えるような日も少なくないはずだが、その充実感は何ものにも替えがたいという気持ちが伝わってくるようなオーラを発していた。A君も、竜の話を聞きながら、「凄いですね」を連発していた。「お前だって、そうなりたいなら、今日からでもそうなれるよ。もっと自分をさらけ出し(これが難しい)、他人を受け入れれば(これはもっと難しい)、幸運は次々と舞い込んで来るさ」。

これから某事務所に伺うことになっているという竜と一緒に研究室を出て、雨の駐車場で再会を約束して別れたときには午後7時近かった。あっという間の5時間だった。彼はトヨタスプリンターカリブを駆って颯爽と走り去った。