充実した時間とは

受講生のみなさん、前回の私の講義録「新しい天使」、読みましたか。読んでないだろうな。まあ、いいでしょう。実はそのコメント欄で、ねぷたさんによる正確な理解にもとづく講義録を受けて、講義の話題の中心人物でもあり、客員教授でもある美崎薫さんご本人から、いつものように、興味深いコメントが寄せられています。

あ、そうそう。ねぷたさん。
いまここ感覚ですが、過去も未来もいまに凝縮というと、
過去→いま・ここ←未来
という感じですが、わたし自身は、いまここが拡張されている、という感覚なので、図にすると、
過去←いま・ここ→未来
という感じなのかも。

わからないことがあるとすれば、それはなにかが欠けていることを示している。欠けていることがわかっていることを「わからない」という。わからないことは、完全な理解への予感だ。わからないことは僥倖なのだ。

それに対するねぷたさんの応答。

美崎さん、いま・ここが拡張されているって、なんだか猛スピードで過去にさかのぼりつつ猛スピードで前へ進んでいるっていうイメージが頭によぎりました。2人の「自分」がいるのではないか?とちょっと思いました。それは単なる「二面性」という言葉では言い表せないような何かとしか言えませんけれども。

それにしても言語哲学入門の講義に出た後は頭がモウレツに疲れてます(笑)きっと、今までここまで本格的に「謎」について考えたことがなかったからなのでしょうね。とっても充実した時間です。

それに対する私の応答。

ねぷたさん、
「充実した時間」って思わず書いたでしょう?そういう時間ってあるよね?謎に向き合い理解しようとしているプロセスというか。他者を迎え入れようとしている心の動きというか。そこがちゃんとつかめれば、今学期は終わりだね。

というわけで、「終わり」はすでに射程に入ったわけですが、もう少し色々と回り道したり、気になった辻角を曲がってみたりして、楽しみましょう。

今回は、ねぷたさんが思わず使った「充実した時間」をめぐります。脈絡としては、

美崎薫にあって、ウィトゲンシュタインにないものは、「時間」
美崎薫の時間T1 過去→いま・ここ←未来(ねぷた&三上の理解)
美崎薫の時間T2 過去←いま・ここ→未来(ご本人の理解。「いまここが拡張されている、という感覚」)

「充実した時間」とは何か?
そして、改めて、T1とT2のどちらがよりふさわしいイメージか、あるいは第三の時間のイメージはありうるか。

それから、時間がゆるせば、美崎薫さんが、

わからないことは、完全な理解への予感だ。わからないことは僥倖なのだ。

で示唆する、大変重要な、もうひとつの脈絡、つまり、わからないこと(謎)を「分かろうとする」、「完全な理解への予感」と「時間」との関係についても触れてみたいと思っています。というのも、謎を分かろうとすることで、なんて言うか、「生きた時間」が流れ出す、という実感が私にはあるからです。ねぷたさんの「充実した時間」にも関係しそうでしょ?

ということで、みなさん、一緒に考えましょうね。面白いでしょ。