手紙(The letter)の思想:WakeOS;Joycean operating system

blogの黎明期に名をとどめるほど著名なブロガーであるジョン・バーガー(John Barger,1953-)が面白い。人工知能研究とジェームス・ジョイス研究を深く交差させているらしいところに興味を持った。

robot wisdom weblog http://www.robotwisdom.com/

英語版Wikipediaでは「ブログblog」に関する歴史、タイプ、ビジネス・モデル、仕組み、人口、マスメディアとの関係、法的諸問題等が手際よくまとめられていて参考になる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Weblog

その歴史記述のなかで、1994-2001までの第1期の1997年に、weblogという呼称とともにジョン・バーガーの名が刻まれている。ちなみに、その後1999年をさかいにして、weblogという呼称はblogへと短縮され急速に受容されていき、今日にいたる。そしてblogという言葉は名詞としても動詞としても使われるようなったと書かれている。

both a noun and verb ("to blog," meaning "to edit one's weblog or to post to one's weblog")

でも、日本語では「ブログする」とか「ブログる」という表現は聞いたことがないな。


英語版Wikipediaには当然の如く、ジョン・バーガー(John Barger)の項目もある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jorn_Barger

遅れてやってきたヒッピーのような長髪、髭面のバーガーのプロフィール(顔写真)がとても印象的である。彼は70年代からサイバネティクス行動主義心理学を接合するような研究を独自に進めてきたらしい。その研究を彼は、"cybernetic psychology"または "Robot Wisdom" と命名した。その"Robot Wisdom"が彼のweblog(彼はblogという頭をちょん切ったような名前が好きではないらしい)の名前にもなっている。

彼は、80年代前半には、コンピュータ・ゲームや教育用ソフトのプログラミングの仕事(the Apple II、the Commodore 64、the Atari 800などの)をし、その後は人工知能の研究に邁進する(ロジャー・シャンクと仕事をしていたこともある)と同時にジェームス・ジョイスに関する独自の思索を継続してきた。90年代を通じて、彼の表現の舞台はUsenetだった。で、97年から自身のrobot wisdom weblogを開始した。

robot wisdom weblog http://www.robotwisdom.com/

私はジョン・バーガーにおける人工知能研究とジョイス研究との結びつきに大変興味を抱いた。とりわけ、ジョイスへの入れこみ様は尋常ではない。膨大な記事がある。その中で目に留まった1999年から2003まで断続的に構築された「The online shorter Finnegans Wake (FW I.1 thru I.4, ch1-4)」ジョイスおよび人工知能に関する膨大な電子テキスト群とのハイパーリンクを駆使したそれ自体が稀有なフィネガンズ・ウェイク論、ジェームス・ジョイス論になっている。

その核心は、どうやら、若かりし頃から抱いていたらしい、人間と機械(コンピュータ)のインターフェースとしてのオペレーティング・システムの思想と、人間の心理と行動に関する文学的思考とを深いところで結びつけることにあるようだ。

その凄まじいまでのハイパーリンクを辿り切るには何日かかるか見当がつかないが、ジョイスの作品、特にフィネガンズ・ウェイクにたいするバーガーの眼差しは、ジョイスが切り拓いた文学空間における言葉の操作(operation)にあるようで、それはコンピュータのオペレーティング・システムを、あるいは人工知能研究を、かなり深いレベルの認識によって先取りしていたと彼は評価しているようだ。面白い。

実際に、彼は2000年の記事で、ジョイスのFinnegans WakeのWakeをとって、「WakeOS」なるJoycean operating systemについて書いている。

そこでバーガーはジョイスにおける「手紙The Letter」という中心的なイメージに注目する。「手紙」とは、オペレーティング・システムが扱うことになるあらゆる文書、あらゆるファイルの本質を表すものだということらしい。

In Finnegans Wake the letter is (approximately) dictated [qv] by ALP-the-wife [qv] to her son Shem-the-scribe [qv], and delivered by Shem's brother Shaun-the-post(man) [qv] to the king (whoever that may be-- no doubt HCE himself), in an attempt to exonerate [qv] her husband HCE [qv] from the accusations that have plagued him [qv] since he encountered the Cad in the Park [qv]...

For Joyce it was all letters, and all books (especially Ulysses and FW itself), so it's pretty certain it would also include all emails, webpages, usenet postings, etc.

Joyce saw more deeply than most OS designers in recognising that all documents may have an author, a scribe, an intended recipient, and a delivery system that may not be reliable. (These are classic metadata categories.) [more]

([qv]はquod vide;which see;参照リンク。[more]は「もっと読む」リンク。)

フィネガンズ・ウェイクジョイスにとって「すべての手紙であり、すべての書物であ」ったので、そこにすべての電子メール、ウェブページ、usunetの投稿記事(最近であればblogの記事)が含まれることは確かだとバーガーは言う。そして、大半のOS設計者以上に、ジョイスは、すべての文書は古典的なメタデータとしての著者つまり書き手、想定される受け手、そして信頼できない配達システムをもつということを深く認識していた、という。

そして、バーガーはWakeOSの機能として、「私的なコミュニケーションと公的なコミュニケーションを注意深く区別すること」を挙げたり、ジョイスの言葉として「エラーは発見の入り口であるからエラーをうまくハンドリングすること、エラーを尊敬すること、価値判断抜きにエラーを注釈/記録しておけば、後で役に立つ」ことや「様々な身分の人たちの間の思いがけない出会いのモチーフを探ること」の大切さを挙げて、最後に面白いことを書いている。

One of the most striking characteristics of The Letter is that it's discovered by a hen in a middenheap, apparently having been used as toiletpaper, and punctured by holes attributed to a fork. [qv] No one knows what Joyce intended by this, but at least it's a vivid reminder of the importance of regular backups!

「手紙」の最も驚くべき特徴のひとつは、思わぬ場所で思わぬ状態で発見されたりすることがあるということで、そのことは定期的なバックアップの大切さをいきいきと思い出させてくれる、という。これは「信頼できない配達システム」に関わることだろう。

ジョイスの文学空間が、手紙が書かれ、投函され、配達され、事故もおきることがあり、宛先に届くのが普通だが、たまに届かないこともあるという郵便ネットワークをモデルにしているとすれば、われわれがインターネット上で直面している世界もまた、そのような郵便的ネットワークに他ならず、そこでやりとりされる文書等はすべて一種の「手紙」であり、手紙という古くて実はよく理解されていないコミュニケーション手段を深く再認識する必要をバーガーは訴えているように感じた。そしてだからOS開発者は郵便空間を設計するようなつもりでOSを設計しなければならない、と。

しかし、そのことはジョイスがAIの先駆者であることとどうつながるのか?

[more](「もっと読む」)に飛んだら、こう書いてあった。

The central problem of AI is to find a finite vocabulary that can be used to express any idea.
("All marked up and nowhere to go"(2000) http://www.robotwisdom.com/ai/xml.html

「AI(人工知能)の中心問題は、どんな考えでも表現するのに使えるような有限の語彙を発見することである。」

そうか、インターネット上のどんな情報(文書)をも「有限の語彙」で扱えるようになるためには、それらを「手紙」と見なしさえすれば良い、ということか。どんな情報も「手紙」として扱うようなネットワークOSのモデルをジョイスフィネガンズ・ウェイクで示したということか。非常に面白そうだが、具体的にはまだよく分からない。(宿題)。

ところで、実はバーガーの論文における「The letter」を「手紙」と置き換えることに抵抗がある。文脈からは「手紙」で間違いはないのだが、「文字」の意味合いがかなり強いと感じている。実際に英語では"letter"一語で日本語の「文字」も「手紙」も表す。そして元来「文字」が第一義であり、「手紙」の場合には特に集合的には"mail"が使われる。

ここには、日本語で考えていると見過ごしてしまいかねない「手紙の思想」とでも言うべき概念の地平があって、おそらくそれは、そもそも手紙とは誰かに宛ててかかれる文字の集まりであり、その文字の集まりというイメージがかなり濃厚のような気がする。逆に、文字とは本質的に誰かに宛てて書かれる手紙である、手紙というフレームの中で始めて文字は本来の命を獲得するとも言えるような、文字=手紙という概念の地平が、実は重要なポイントなのかもしれない。

だとするなら、バーガー=ジョイスのWakeOSの思想は、「手紙指向的文字」を扱うネットワークOSということになるだろうか。