前回は最初の大きな山場である、「対象とは何か」をなんとか攻略しました。われわれは事実から対象を切り出してくるのだということでした。そのような対象の本質は外的、偶然的性質とは異なるいわば「形式」、ウィトゲンシュタインの用語では「論理形式」と呼ばれるものでした。それは言い換えれば、対象の「像」としての「名」が他の名と有意味に結合ないしは配列される、有意味な命題が構成される可能性のことでした。もっと言えば、われわれは名の論理形式を習得しているからこそ、世界の事実から対象を切り出してくることができるのだとういうことでした。そして、名の論理形式は個々に独立したものではなく相互に複雑に関係し合っている。その総体がすなわち言語表現の限界をなす「論理空間」であるということでした。他方、対象の個別的具体性に関しては「指示」による「このもの性」(thisness)が決定的な働きをしていることを確認しました。
さて、次にわれわれは、「名」そのものの正体を見極めることに向かうわけですが、ここで、前回アナウンスしておいたように、ちょっとだけ回り道、必要な迂回をします。ウィトゲンシュタインが言語の考察において心血を注いだ「名の解明」の背景には、歴史的なドラマがありました。それは二十世紀初頭における数学をも巻き込んだ論理学革命の只中で起こった事件と言っても過言ではありません。その事件を象徴する言葉が「ラッセルのパラドクス」です。それは、ウィトゲンシュタインがその哲学的インスピレーションの多くを受け継いでいるフレーゲの大きな仕事を土台から揺るがすような悩ましいパラドクスでした。ラッセルはそれを「タイプ理論」と呼ばれる手続きによって回避する方向に進みます。ところがウィトゲンシュタインはフレーゲの考えをさらに押し進めながら、直接の先生でもあったラッセルの考えを批判し、「ラッセルのパラドクス」をいわば解消したのでした。それは一種の敵討ちです。世界や知識の考察に際して言語を、名をどこまで深く捉えるか、あるいはどこまで言語に定位するかということに関わる決定的な立場の違いに起因する対決でした。
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そのあたりの事情にリアリティを持ってもらうために、フレーゲは登場しませんが、ラッセルはもちろん、ケインズなども登場する映画『ヴィトゲンシュタイン』(WITTGENSTEIN, 1993)を一緒に観ます。監督はデレク・ジャーマン(Derek Jarman, 1942-1994)。色んな見方のできる面白い映画ですが、今回は特に直接の師ラッセルとの学問上の確執、そしてついでに伝説的な哲学者の人生、生き様の一端にも触れてもらいたいと思っています。その上で、一見何も問題のないように見える「名」が秘める大きな問題に向かいます。
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