愛しのプラタナス


惨めな姿を晒し続ける愛しのプラタナス(紅葉葉鈴懸の木, London plane/Sycamore, Platanus acerifolia)。落葉も進み、過度に剪定された細い枝が露になると、幹の太さとのアンバランスさのせいか、どこかユーモラスな雰囲気さえ醸し出し始めたことに気づいて驚いていた。毎朝ちゃんと見ていれば、何か発見があるもんだ。彼らが思いきり枝を伸ばし、大きな葉をたくさんつけて、風に踊る姿を見たい。それが私の夢だ。でも、この町では誰もそんな夢は見ないらしい。全員に確かめた訳じゃないけどね。だから、私の夢は実現しないだろう。こうして書けば、同好の士が見つかるかもしれないという淡い期待はないわけじゃないけどね。通行の邪魔になるじゃないか! 落ち葉が汚くてしょうがない! 何を仰る。何様のつもりかねえ。避けたり、潜ったりして通り抜けりゃ、すむことじゃないの。樹は動けないのよ。あなたは動けるでしょ。軽やかに身体を動かして通り抜けりゃいいじゃない。硬くなった身体も頭もほぐれて、気分爽快になるよ。素敵な身のこなし方も身につけられるでしょ。その場に来たら、プラタナスと一緒に踊るくらいの気持ちになれないかなあ。落ち葉が汚い? 本当に汚い危険なものをいっぱい放置しているくせによく言うよ。落ち葉は美しいよ。落ち葉を踏みしめた時の音も美しいよ。でなけりゃ、どうして、こんな場所に植えた訳? こんな惨めな姿を晒すためだったの?