永井荷風の玉の井畧図

先日東向島を中心に一緒に歩いたid:mmpoloさんから頂いた地図と永井荷風が描いた玉の井の地図とを見比べながら、私はあのとき、変な言い方だが、70年という時間を全身を目にして歩いていた、すなわち、約70年の歳月の経過に、色んな意味で驚きながら、歩いていたのだということに気づいた。昭和11(1936)年の「日乗」(日記)に荷風はこう記している。

 五月十六日。曇りて風甚(はなはだ)冷なり。哺時(ほじ)佐藤春夫氏来る。三笠書房出版『荷風読本』のことにつきてなり。夜銀座に往き不二あいすに飰(はん)す。帰途また雨。


  玉の井の見物の記

 初て玉の井の路地を歩みたりしは、昭和七年の正月堀切四木(ほりきりよつぎ)の放水路堤防を歩みし帰り道なり。その時には道不案内にてどの辺が一部やら二部やら方角更にわからざりしが、先月来しばしば散歩し備忘のため畧図(りゃくず)をつくり置きたり。路地内の小家は内に入りて見れば、外にて見るよりは案外清潔なり。場末の小待合(こまちあい)と同じくらゐの汚なさなり。西洋寝台を置きたる家尠(すくな)からず、二階へ水道を引きたる家もあり。また浴室を設けたる処もあり。(後略)


「昭和十一(1936)年/昭和十一年歳次丙子正月起筆/荷風散人年五十八」(岩波文庫版『断腸亭日乗(上)』353頁〜356頁)

原稿用紙に「情報」が丹念に描き込まれていったことが窺える荷風の味わい深い地図を携えて、そこに約70年後の現在の私の地図を重ね描きながら、また、歩いてみたい。