島尾伸三『季節風』を読む3

季節風』に収録された全117枚の写真には通常のクレジット*1とは異なって、撮影場所に関する簡潔な記述と不思議なフレーズ(日英併記)が添えられている。不思議な、というのはその117個のフレーズは、すべて繋げると一篇の詩になるように思われるからである。『季節風』という本、書物は、「目次」と「本文」と「あとがき」から成るテクストの層に、「目次」の前から始まり、「あとがき」の後まで続く「写真集」の層が複雑に折り重なり、さらにそこにクレジットに断片化されて埋め込まれた長い詩の層が117の断層のように走る、という構成になっている。

その全117の「クレジット」を撮影場所と詩の全貌が一覧できるように表にしてみる。

番号 撮影場所 フレーズ
001 バンコク 見上げると天空の空気が渋くなっていて
002 ケソン 景色が曲がったまま流れているようで、
003 シンガポール/橋南路 落ち着きを失った視線は空をさまよい、
004 香港/ミラマ・ホテルでの婚礼 虚しい空間に何をとらえようとしているのか。 4
005 シンガポール/牛車水(China town) 理解を越えて実存が在るものだから、 5
006 マニラ 無理なこじつけが始まろうとしてしまい、 7
007 台北 こうやって知恵は輝きを隠匿し、 10
008 台北 なぜか、やさしい魂は常に過去に位置し、 13
009 香港/彌敦道・尖沙詛 忘れ去られた瞬間の隙間に逃げて行く。 14-15
010 香港/銅鑼湾・怡和街 水底から父の記憶が勝手に浮いて来て、 17
011 台北 ふしだらな目の仕種を隠しきれずに、 19
012 香港/彌敦道・尖沙詛 危うげなところへ関心が歩いて行ってしまう。 21
013 香港/香港島 ろくな知識もなく、好奇心だけが勇気を持っていて、 23
014 台北 小さな機械を後生大事に持ち歩いて、何を拾おうとしているのか、 26
015 台北孔子廟 ここにも投影された自己が、いやおうなしに生息している。 27
016 マニラ 実存と呼ばれる観念の生き物が、悪夢の中に立ち現われ、 30-31
017 マニラ/パシック川のほとり 罪の意識などまるで見せずに立ちはだかり、 34
018 マニラ/パコ駅周辺 その善意は、善意を食いものに成立し、 35
019 香港 だから、老いさらばえていくことさえ監視の対象とされ、 39
020 シンガポール/熱帯植物公園 その先にも逃げ場などないのに、 42
021 シンガポール/熱帯植物公園 ほんの少しの幻想にもすがろうとし、 43
022 シンガポール/ブキ・テマ 時間にまでもすがろうとして、 45
023 シンガポールジョホール・バルへの道 どれが公正であるかなどはどうでもよくなって、 47
024 シンガポール/熱帯植物公園 思い描いていたものは、どこかへ去ってしまい、 49
025 シンガポール/虎豹別荘・翡翠 欲望の醜さだけが勢いを増し、 51
026 シンガポール/虎豹別荘・翡翠 甘い空気を吸収する柔らかさを失い、 56
027 シンガポール/虎豹別荘・翡翠 硬直した皮膚は柔らかさに嫉妬して、 57
028 シンガポール/牛車水、葬儀の車 記憶のあったことさえ葬られる。 60
029 香港/湾仔牛 このまま抜け出る機会を失ったような不安が底辺をなし、 62-63
030 シンガポール/熱帯植物公園、蘭の種子 昼寝のように、永遠に眠れるはずなのに、 65
031 シンガポール/牛車水 不幸を観念が招待していて、 67
032 マニラ/路線バス マイナス要因が粒子を崩してしまったので、 70
033 マニラ/サンタ・クルス教会前 均衡のはずれた比重は落ち着き先を見失い、 71
034 シンガポール/虎豹別荘 全景色へ無責任でいられる残虐に支配され、息苦しいのに、 73
035 香港/佐敦路 厚化粧をした羊たちが気圧を低くしていて、 74
036 香港/ミラノ・ホテルのアーケード どこで感染したのか、同じ病が神経に巣くい、 77
037 マニラ/クリスマス・イブ 心拍も呼吸も上調子になっていて、蒸し暑い。 78-79
038 シンガポール/閉店準備の大衆食堂 欲望はいつまでもささやかでいられるだろうか、 82
039 香港 戯れに光は輝き、太陽は戯れに実存を生んでいて、 83
040 香港/大平山山頂 心の糧を束の間の空白に見つけても、 86
041 バンコク 不愉快が権力を放棄することなどありえなく、 87
042 バンコク/シロム通り その不公平さえ楽しみに変えるほど、善意が人を無知にし、 92
043 シンガポール 小さな喜びとあきらめが道端を流れ、 93
044 マニラ/リサール公園、葬列 精神の再生さえ肯定するほどに酩酊した神々がうごめき、 94-95
045 香港/天星碼頭 足許へ湿った空気が忍び寄って来て、 97
046 香港/佐敦道 手探りで廊下を行く時のような気持が道沿いに続き、 99
047 シンガポール/食堂 溜め息をコンクリートの床に捨てる気安さが許されていて、 102
048 シンガポール この同じ平面上に幼児たちの昼寝もあるのに、 103
049 香港/茘枝角 満たされぬ魂の横暴の目には何も見えてはいなくて、 104
050 シンガポール/日本の橋 つじつま合わせが体を成していて、 105
051 マニラ 何もかもが次第に均衡を失っていく。 108
052 マニラ/アヤラ通り 静寂の中に寝ていたいのに、 110-111
053 シンガポール/克羅士街上段 気持ちをかきまわすものが現われて、 112
054 マニラ/イントラムロス(城塞都市) そして、景色にたしなめられたりもする。 117
055 香港/啓徳空港 こうやって、眼福が突然現われ、 118
056 香港/啓徳空港 目は快楽を追い求め続けようとし、 119
057 マニラ/パコ駅 決まって、失っていることを知る。 120
058 マニラ/軽食堂 この今で充分だったはずなのに、 123
059 マニラ/リサール児童公園 悲しみの予備軍だと決まっているわけでもないのに、 126-127
060 バンコク/ルンピニ公園 ささやかなものさえ不幸の発芽に見えて、 128
061 バンコク/中国人の庭 実存の手柄を光がかすめとり、 130
062 バンコク/中国人の庭 その仕事を観念が搾取する。 131
063 マニラ/中国人墓地 景色を汚し、神経の痙攣を誘ってしまい、 133
064 香港/尖沙咀 暴虐の記憶が邪魔をしているのは確かで、 135
065 マニラ/消防署前 外界からの気配が強く照り返し、目を刺す、 136
066 マニラ/カローカン地区 影の無いその強い光線は、湿気をおびやかす、 137
067 香港/ロンドン戯院 すると、気持ちはそこへ逃げ込んで行こうとし、 140
068 マニラ 母親のように、小さな安堵を与えてくれるものを追いかけている。 141
069 マニラ/リサール記念競技場 知恵が闇に隠されているなどと、どうして思ったのか、 142-143
070 マニラ/パコ駅 心地よい物語を発見した気になっているだけで、 148
071 マニラ/パコ駅 現実が冷たい水をかけてくる前に逃げ出すに決まっている。 149
072 バンコク 物理的な意味が無駄になっていても、 150
073 バンコク 静寂が神経のひだに溜まった油を食べる音がする 151
074 バンコク 動物的感覚が警戒心を解いていなくて、 152
075 バンコク/道端の廟 払いのけようとしても頭の中から毒がこぼれて来るようで、 153
076 バンコク 深く呼吸する悦楽を内包していて、 158-159
077 バンコク/中国人食堂 忘却の中に息づくものがいて、 160
078 マニラ/ケソン基地入口 気持ちにベトベトと不愉快が付着してくる。 161
079 香港/佐敦道 きしむ腰、しなびた手足、錆びたちょうつがい、そして停止なのか、 162
080 バンコク 知覚に圧力がかかってくるようで、 166
081 バンコク 祈るふりをしていても、景色が拒否しているようで、 167
082 香港/仕立屋 感覚までもが蘇生したような錯覚が走り出して、 168
083 香港/彌敦道 ふと蘇るものがあって、そこから風が吹き込んでくる。 172
084 香港/啓徳空港 繕いがほつれ、影の捨てられた場所が顔をのぞかせ、 173
085 香港/啓徳空港 目が現実に追いつこうとあがいていて、 174-175
086 マニラ 沈んだ神経と感覚の、未踏の部分に火傷が始まって、 182
087 マニラ/ヒルトン・ホテル 過去がまだ走り続けていて、 183
088 香港/廟街 覚えのある肌合いを皮膚が求めていて、 184
089 香港 覚醒など夢のまた夢なのに、 185
090 香港/尖沙咀 氷の中で酸素を奪い合うように、 186
091 香港/旺角 マグネシウムのように空気に飢えていて、 187
092 マニラ/児童公園 それなら二酸化炭素のように息苦しいのか、 190
093 マニラ 輝きをも暗闇へ引きずり込もうと、 191
094 香港/彌敦道・尖沙咀 燃焼への恐怖心だってあるのに、 192
095 マニラ/リサール公園 蛾のように光の悪と善に見わけがつかなくて、 196
096 マニラ/ヒルトン・ホテル 散らばった炭素が汚く周囲にこびりつき、 197
097 マニラ/リサール公園 羊水に沈む安楽の時代がなつかしくて、 198
098 マニラ/カローン地区 この知覚だけに許されたものでもないのに、 201
099 マニラ この目だけが第一発見者でもないのに、 204
100 バンコク 窓の外へ気持ちが吸い込まれて行く。 206-207
101 香港/旺角 整数を越えてしまったばかりに、 210
102 マニラ/国立博物館 きしみが光をなしているのか。 213
103 マニラ/乗合ジプニー やがて輝きが暗黒の割れ目からこぼれて来るようで、 214
104 マニラ/乗合ジプニー 気持ちの中に不安を好むはずがなたっかのに、 215
105 マニラ/クリスマス・イブ 誰に祈ってよいのか、迷う景色に出会っても、 219
106 マニラ/ラーヤ・スレイマン劇場 つまりは物理環境が精神環境をも支配していて、 222-223
107 マニラ/ヒルトン・ホテル 予測が現在に混乱をもたらしていて、 224
108 香港/天星碼頭 うまく隠しおおせたつもりでいても、 225
109 マニラ/児童公園 体現してしまっているではないか、 230
110 マニラ 足が阻止しようと必死にもがいているのに、 231
111 マニラ/リサール公園 まず、気持ちが景色を汚染してしまっていて、 232
112 マニラ/葬列 俯瞰を得たわけでもないのに、 235
113 マニラ 滅亡だ、すべて滅亡だ、神経に聞こえてくる、 236
114 マニラ 影の内側から覗き見る仕種がなおらなくて、 237
115 台北 靴の泥が主人面をして気持に居座っていて、 238
116 バンコク 雲が輝きに引き裂かれ始めたようで、 242
117 バンコク 相変わらずの実存に、相変わらずの朝。 243

「目次」の前に置かれたはじめの3枚と「あとがき」の後に置かれた最後の2枚に添えられたフレーズだけが写真との親和性を感じさせる。このような異例のクレジットは、本来の写真の姿を露にするめの、写真(視覚)と言葉(記憶)を強引に切り離そうとする試みのように感じられる。

……ナイフらしき影を見たら、それが点に見えていたとしても、記憶がでしゃばってきてサッサとナイフだと発言してしまうのです。どんなふうに見えていたかは、まず目的を達成することに必死の経営者のような立場の記憶には、どうでもよいことだからでしょう。

 同書38頁


一冊の本の中でさえ、島尾伸三は写真の「独自の文体」を鍛え上げようとしたのだろう。彼によれば、写真は誕生後まもなく、ただ写真であることから遠ざかり、成熟を見ぬ間に、新しいメディアにとってかわられ、晩年を迎えてしまった(同書69頁)。
(つづく)

*1:「書物・映画・脚本・記事・写真などに明記する題名・製作年月日・著作権者・原作者・提供者の名など,作品に関する表示。」(『大辞林』)