詩
Arizona, March 23, 2005 記憶を辿ることの無意味さがある ・・・ あてもなく漂っていく自我の浮橋よ 山本博道『藁の船に抱かれて』(紫陽社、1979年)より
戯夢人生 [VHS] ひとの一生とは壊れていくじぶんを雨の日ならまだしも こんな澄みきった空の下でも見ていくことだったのだろうか? 山本博道『ブルゴーニュの赤』(思潮社、1999年)より もう夢なんて一つもないのに 青い空を白い雲が流れていた 山本博道『…
A Film by Anton Corbijn, CONTROL, 2007 かなり遠くまで来た気がする いつかわが生を 美しく感じる日々の谷に出逢うだろうか たたまれていく母の日傘を こころの中に描いてみる 山本博道「旅立ちて、いま」より、『藁の船に抱かれて』(紫陽社、1979年)所収
アンドレ・ケルテス(André Kertész, 1894–1985)の写真集ON READINGの邦訳版『読む時間』では、口絵写真と扉の間に原書にはない日本の高名な詩人が書いた詩が「巻頭詩」として印刷された頁が挟まれていて目を疑った。詩そのものの評価はさておき、写真集に…
だれもその道がこんなところへ出るのは知らなかった 山本博道『短かった少年の日の夏』(思潮社、1998年)より
明るい部屋―写真についての覚書 『明るい部屋』で、病気(不詳)で衰弱していく「母」にただ寄り添うように暮らしていた「私」は、最後には「母」を自分の「小さな娘」として実感していたとロラン・バルトは書いた。さらに、実際には子どもを作らなかったロ…
雑草と時計と廃墟 そこがどこだろうが、私がだれだろうが、どこにでも、だれにでも通じる道をひらくこと。それが詩なのだろうか。
掘り起こせなかった甘い歌を いくつ抱え込んだところで生涯は閉じられるか 山本博道『恋唄』(ワニ・プロダクション、1985年)より いま、こうしてぼくの少年期に出会うとき たまらないさびしさがあふれてくる 山本博道『短かった少年の日の夏−−遠い風景』(…
「ロシア語辞典なんか引いて、どうしたの?」 「いや、パステルナークの『ハムレット』って詩が意味深でさ」 「パステルナークがハムレット?」 「うん、思い入れがあったんだ」 「思い入れ?」 「うん、パステルナークにとって『ハムレット』はいかに自分を…
白い本の全頁をコピーして、床に並べ、3メートルほどの白い頁の庭を作った。 白い本が包まれた手作りの封筒には、何かの符号のように伊勢志摩の浜木綿と海女の切手が貼られていた。 長い夏もようやく終わるころに、東京在住の詩人である大和田海さんから手…
部分月蝕、午後8時32分 月蝕を眺めながら、ある詩人の月蝕の詩の一節を思い出していた。彼は月蝕、皆既月蝕だったらしいが、の観察から「くろき炎」という、影や闇の負のイメージを反転させる強烈なイメージを言葉に託したのだった。どんな心境が、そんな大…
花・蒸気・隔たり 写真を撮りながらぼんやり感じていることに思わぬ角度から言葉の強い光が当てられた気がした。 名づけられてなお 意味を割って振れていく 鋼に覆われてみずみずしいわたしの時間。 その静かな満ち欠けの中に 浮かび上がる 見えないものをふ…
New Year’s Day 2012 from Jonas Mekas' Diary, January 8, 2012 ジョナス・メカスは今年で38回目を迎えた The Poetry Project 主催の元日恒例の詩のマラソン朗読会(New Year's Day at St Mark's Poetry Project Marathon Reading)に昨年に引き続き参加し…
asin:4783721688 清岡卓行の遺稿詩集『ひさしぶりのバッハ』に不思議な四行詩が一篇ポツンと収められている。岩坂恵子の「あとがき」によれば、それは「未整理のファイルのなかから偶然見出された」もので、「題がなかったので、便宜上つけてあります」とい…
年齢や老いにこだわり続けたといわれる詩人、天野忠(1909–1993)に興味が湧いて、『天野忠詩集』(現代詩文庫、1986年、asin:4783707847)を読んでいた。「私有地」と題された詩にグイッと引き込まれた。明るくて残酷な童話のような味わいのある詩だった。…
asin:4103431024 asin:4103431032 話は変わるが、金子夫妻がバタヴィアに上陸したちょうど五十三年前の一八七六年七月に、フランスのある詩人がやはりオランダの船でバタヴィアに上陸している。二十一歳のアルチュール・ランボーである。 ランボーはその二か…
asin:4620319562 文化勲章をのうのうと受賞するような詩人を敵視し、CMに使われるような詩は詩として認めないと公言してはばからない辺見庸の詩文集『生首』の最後の詩に「雲脂(ふけ)」が出てきて、軽い衝撃を受けた。花や蛍の詩はありふれているが、フケ…
恋はせいぜい二年しかもたないって、そんな詩を書いた人がいた。ジャン・ジュネはどうだったかな? 二年もたつと恋は死んでいて 白いシーツのベッドに亡骸が 横たわっているんだって 恋の日々に 優しさと友情をデリケートに 育てたカップルだけがそれをスマ…
毎朝目覚めるたびに 人生を一からやりなおす男がいた 毎朝家を出るたびに 歩き方や口のきき方や世界の見方を 赤子のように学びなおす男がいた 死ぬ間際に彼は言った ぼくはぼくであるほかにはなににもならなかった 人間であることだけがぼくのとりえだった
その日のうちにやらねばならぬ仕事がない場合には、私は五時を過ぎたらすぐに帰る。用事もないのに、グズグズしていることを私は好まない。同様に私は、酒の席でのサラリーマンの話題が、いわゆる人事問題となりがちなのも好まない。酒はやはり「両人対酌す…
朝 家を出て 橋を渡り 川のながれに 汚れた記憶を洗い 海を思う 公園の樹に抱かれ 鳥に誘われた わたしは 白い時間のなかで 鳥になって 空に飛び去り 帰らなかった
風太郎が生きていたころはバス通りを散歩することはなかった。風太郎が死んで2年たってもバス通りを散歩することはほとんどなかった。最近毎日のようにバス通りを散歩するようになった。バスを見るのが好きになった。バス停で待つ人を見るのが好きになった…
写真はポツンと切ない点のようです。ポツンと無言な点のようです。(高梨豊『われらの獲物は一滴の光』) 詩もまた、ポツンと切ない点のようです。ポツンと無言な点です。(辻征夫「人事を尽してポエジーを待つ」)
アラバマに星がおちるころ わたしの町に雪がふる あなたのこころにみえない星がおちるころ わたしのこころにみえない雪がふる こころにおちる星がどこへいくかだれもしらない こころにふる雪がどこへいくかだれもしらない わたしがおもうほど星は星ではない …
紅の汀 辻征夫の「キリンナツバナ」によって、國井克彦の詩に導かれた。國井克彦。1938年台北基隆市に生まれる。 詩の神というものがあるなら … 十五の少年の狂気は「神」が見ている … その夢も死も「神」は見透かしていた 見えているものを見ることはついぞ…
時空からへだたり 夜明けのように果てしない この世のものとは思われぬ どこでもない 光だけの風景のなかに いつもお前は 滲むように現れては 溶けるように消える
この世の誰も知らない花(2011年01月14日) 以前、辺見庸の「だれも知らない花」と題したエッセイに登場する謎の花キリンナツバナは辻征夫の詩篇「キリンナツバナ」に由来することを見た。それは単に架空の植物の名前ではなく、詩と呼ばれる精神のいわば曠野…
言葉の闇を歩く あなたの記憶とさびしさを 風に鳴る紙垂のようにぶらさげて 夜 あなたの知らない記憶に火を灯す
夢のなかに行方不明の叔父さんが現われて呟いた。 「嘆くことはない。消滅する路地は、ひとの内面に場所を移すだけだ」*1 (でも、それを記憶したひともいずれいなくなるでしょ?) 「それが嫌なら、お前が一篇の詩のなかにでも場所を移せばいい」 *1:辻征夫…
少なくとも一日に一度は自分を壊す激しい叫び声を上げる夢をみては、狂った現実を優しく抱き締める彼の囁く歌声を真似て、世界の危ういバランスを保つ。無残な通りが路地になるまで。