夢の足音

詩は宛先のない手紙なのかもしれない。誰にいつどうやって届くか分からない手紙。それはもしかしたら未来や過去の自分に宛てられているのかもしれない。昨年暮れに東向島あたりを一緒に歩いた(濹東巡礼報告1)「詩人」大和田海さんが、風太郎を悼む詩=手紙を書いてくれていた。しかも彼らしく、IDコールトラックバックもなしで、いつかきっと風太郎に届くことを信じて、ネットにそっと放たれたかのようだった。1週間、気づかなかった。でも、不思議なことに、その間に私は大和田さんのことを何度も思い出していた。『悼む人』を読んでいる時にも、「悼む人」と彼の印象がだぶった。大和田さん、あなたはちゃんと足音を聴いてくれたんだと思います。ありがとう。勝手ながら、引用させてください。

無題


まだあなたが雪の上を歩く
静かな足音が聴こえてきそうです。
その寝静まる前の息も、
ぜいぜいと外を駆け巡るときの
汗も息も。



僕は聴けなかった。


最後まで三上さんのブログを通じて
不定期にみていた風太郎さんの生に
三上さんとの関係に、
とても豊かなものをずっと感じていました。


ブログという窓を通しての
見知らぬあいだがらでしたが、
なぜか親密にかんじて、
僕にとってそれはとても大事なものだったような気がします。
聴けずにいた足音と、息を、聴くようにして
僕の耳のずっと奥で
まだ鳴っているんだと信じて、
そのシーンをそっとしまうように、
ここでお礼させてください。




風太郎さんが残してくれた
夢の足音へ。



ご冥福を。
2009.2.8
大和田海

 『生き残るための水』(2009-02-07)