水の精霊

1986年のチェルノブイリ原発事故の後、村人の強制退去・移住政策によって、原発から半径30キロ圏内の178村が廃村になった。それらは「消えた村」と呼ばれる。現在でも土壌の放射能汚染は激しく、原則として人が住むことは許されていない。しかし、知らぬ土地では暮らせない、死ぬなら故郷で、などを理由に勝手に戻ってきて村でかつてと同じように暮らす人々がいる。そんな人々の心や土地の背景を、途絶の危機にある「生きた文化遺産」という観点から取材した記事が「消えた村から」と題されて朝日新聞に6回にわたって連載された(文:国末憲人、写真:小宮路勝)。大変興味深かった。

その一帯は「ポリーシャ」という美しい名前をもつスラブ最古の文化を継承していた土地だった。特に「ルサルカ」と呼ばれる水の精(霊)の言い伝えや儀式が興味深い。そこには死を含めた生を豊かにデザインしたかのような、人間が生きる世界に関するそれこそ瑞々しい(水々しい)深い智慧が籠められているのを感じる。

 ポリーシャ地方は、欧州の東半分に広がるスラブ人の発祥の地といわれる。松と白樺の深い森、無数の湖沼。外部から人が近づけなかったために、西欧文明や旧ソ連社会主義文化の影響を受けていない風習や芸能、中世の特徴を残す方言が生き延びた。古代スラブの「原形に近い文化を残している」と国立科学アカデミーのオリガ・ポリツカ研究員は説明する。
 単調でもの悲しい旋律の民謡や無数の民話が、親から子へと口伝えで代々引き継がれてきた。キリスト教が伝わる前に生まれたという「水の精」の物語をオレーナさんが独特の言葉で話す。
 死んだ後に水の精「ルサルカ」になる人がいる。ある日、ルサルカの少女が村に迷い込んだ。少女は親切な村人から食べ物をもらい、村に住み着いた。1年後、迎えにきたルサルカたちと少女は川に帰っていった
 「水の精は本当にいるよ。私の母は実際に見たんだから」とオレーナさんは真顔で言った。


 「消えた村から1」(朝日新聞、2009年4月18日)

……今も毎年6月に村伝統の「水の精(ルサルカ)の儀式」を営む。
 6月のある1週間に亡くなった人はルサルカとなって水辺をさまよう、という言い伝えがある。儀式はルサルカを墓地に送るのが目的だ。
 儀式前、人びとは白樺の葉や草を家の床に敷き詰め、壁にも飾って魔よけにする。月曜日の夕刻、女たちは白樺の葉で作った帽子をかぶって集まり、歌いながら墓地に向かう。男たちは別行動で、たいまつを手にやはり墓地へ。誰ひとり自宅に残ってはならない。残った者はルサルカに殺されてしまうからだ。
 墓地では、たいまつの明かりの下で手をつないで踊ったり、墓を飛び越えたりと盛大に騒ぐ。夜が更け、ルサルカが無事墓に入ったと見なされると儀式も終わる。帰途も無礼講。川を渡る時、男たちは好きな女性に水をかける。「私も若いころ、何度もかけられたよ」とポリーナ・シドレンコさん(70)。
 今のだんなさんですか。「いや、違うね」。水をかけた人とは結婚しなかった? 「うん」。そう答えてポリーナさんは顔を赤らめた。少女のようだった。
 
 「消えた村から3」(朝日新聞、2009年4月21日)

放射能汚染の危険を顧みずに生まれ故郷の村に戻って生活している人々の姿、特に墓地で死者の霊とともに楽しく歌い踊る人々の姿は、病や老いや死をゴミのごとく生の視野から閉め出して、未だに原子力にしがみつこうとする現代人の愚かさと浅はかさを映し出す鏡のようだ。

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翻って、日本でもせめてどの電力を使うか選択肢があればと思う。

坂本龍一「自宅の電力は100%風力電力でまかなっています。日本には、どういう電力を使うか選択肢がないでしょ。それが当たり前と思っているのでしょうが、よく考えるとおかしい。原子力なのか、火力なのか、自然なのか、消費者が選べるべきだと思いますよ。」

 (朝日新聞、2009年4月25日)